氷砂糖のおみやけ
Arts & Culture Podcasts
「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。」 「でも氷砂糖は、おいしくて、すてき。」 「でもとりすぎには要注意。」 「このポッドキャストは、生まれてこのかた氷砂糖を手放したことのない二人が、ちいさい気持ちでたくさんのことを考えてみる放送です。」 東京・湯島に実在するお店「夜学バー」から、店主の尾崎昂臣(通称:ジャッキーさん)と、お客さんのぷにょがいつも通りお話をしています。 毎週月曜日15時に配信。数日続けて配信されることもあります。
Location:
United States
Description:
「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。」 「でも氷砂糖は、おいしくて、すてき。」 「でもとりすぎには要注意。」 「このポッドキャストは、生まれてこのかた氷砂糖を手放したことのない二人が、ちいさい気持ちでたくさんのことを考えてみる放送です。」 東京・湯島に実在するお店「夜学バー」から、店主の尾崎昂臣(通称:ジャッキーさん)と、お客さんのぷにょがいつも通りお話をしています。 毎週月曜日15時に配信。数日続けて配信されることもあります。
Language:
Japanese
Website:
http://ozjacky.o.oo7.jp/brat/
Episodes
#073 世代・年齢・時間④ 強者と弱者が反転する/柔軟性と既得権(『不適切にもほどがある!』を例に)
4/29/2024
【目次】
○前回は「卒業と再会、そして時間とは何か」だった
・最近はそういうの(世代間ギャップ)が流行っている?
・宮藤官九郎・作『不適切にもほどがある!』
・クドカンにパクられた!(詳しくはここで語っておりませんが、ジャッキーさんが16歳の時に書いて上演したお芝居『少年三遷史』がものすごく画期的なタイムスリップものだった、というお話です。くわしくはまたいつか……
・今日のお茶は
○ドラマ『不適切にもほどがある』
・簡単なあらすじ
・阿部サダヲ演じる主人公は昭和61年時点で50歳くらい、すなわち戦前生まれ→38年後(令和6年)にタイムスリップ
・いろんな人が昭和と令和を行き来するお話
・昭和と令和のギャップがギャグであり物語のキーになっている
○ぷにょさんの考えたこと
・昭和のスケバン純子は未来に行って、希望を持つ
・スケバンをあっさりやめて青学を目指して勉強を始める
・対照的に、マッチ(近藤真彦)に憧れるムッチ先輩はスタイルを変えない(この時点では放送されていなかった最終回ではスタイルを変えていた!)
・ジャッキーさんの視点:時代の流行に流される女として描かれていると思っていたが、実は自分の意志で未来をつかみ取れる人間であるということがわかった
○前回の話につながる
・ムッチ先輩へのあこがれ=「同化」の願望から、純子は卒業していく その時に「もう知らない、さよなら」ではなく「かっこいいっす」と表現している
・令和に希望を持つ昭和の女子と、昭和を面白がる令和の男子
・容赦なく変わっていく環境に順応せざるを得ない
・純子は常に「わたしは間違っているんじゃないか」という視点を持っている?ので、変わっていくことに抵抗がない 昭和の女性の立場が弱かったことに関係がありそう
・いっぽう昭和の男性は「男たるもの」という確固たる価値観(自己肯定の方法)があり、自分が間違っているとは思いにくい
・環境がガラリと変わったときに、食物連鎖の頂上にいた生物が絶滅したりする
・弱者たる女は「察知してふるまいを変える」ということを自然にできるが、男は強者だからこそそれができない
・純子とムッチ先輩の対比はそれを描いているのではないか
・1986年は男女雇用機会均等法が施行
・じっさいムッチ先輩は逃げ切れる世代なのかもしれない(生きていればいま60歳前後?)
・ムッチ先輩は彦摩呂になってしまう
・「変わらない」を選んだ(柔軟性がない)ゆえ、彦摩呂になってしまうのではないか?(最終回では、柔軟性があった?ことがわかるので、彦摩呂を回避できたかもしれない)
・「空気読まなきゃ」と思っている(弱い立場の)人たちこそが新しい時代を創っていく
○強者と弱者の逆転、循環
・強者たちはいずれ弱者に転落する
・いじめられている昭和の「おじさん」たち
・弱者であったはずの純子のような少女が「青学」(強者側)を目指す、いっぽう強者であった男たちは「アップデート」を求められる
・「バカだから流行に乗っている」のか「時代の波に乗れる柔軟性がある」なのか
・ジャッキーさん「ドラマの話しに終始してしまいましたが、普遍的なことがいま出てきて、僕はとても知的に面白い、興奮していますわ」遠心的!
・革命は弱者が起こす
・しかし、落ちていく強者を「ざまあ」と見下しては、不幸がくり返されるだけ
・弱者、強者という考え方じゃないところに持っていかなきゃいけない(ジャッキーさんふうにいえば、数値化できるようなものの考え方はよくない)
○次回予告
・どこかへ飛んでいきましょう
Duration:00:33:45
#072 世代・年齢・時間③ ピーター・パンにならないために/すべてを引き連れて年をとっていく
4/22/2024
【目次】
○「ピーター・パン」とジャッキーさんの関わり
・ジャッキーさんの歴史 小4で「陰キャ」から覚醒し、小5でピーター・パンを演じる
・「このままでは地位が低いままなので、明るい人間になろう」
・自認が9歳なのは、「覚醒前の状態」がベースだから
・「服」ができたのが17歳くらい
・覚醒後、1年で学芸会の主役、2年で小学校のスターに
・演じることによってピーターがインストールされてしまった(たぶん11歳になる誕生日の前後)←本編では10歳と言ってしまっております
・小説版の『ピーター・アンド・ウェンディ』が好き。おすすめは偕成社文庫の芹生一訳
・卒論もこの作品で書きました
○ピーター・パンという概念について
・ウェンディは大人になるが、ピーターは大人にならない
・おばあちゃんの代からずっと「いる」存在
・自分はそういうふうなのかな、と思うこともある みんなから「卒業」されていく存在かと思った時期もある
・でもジャッキーさんは成長する「人間」なので、そうではない
・「子供の時にだけあなたに訪れる」は好きじゃない
・『雪渡り』は好きなのだが
・「小さいころは神様がいて」も同じ?
・「大人になっても奇蹟は起こるよ」→じゃあいい歌だね
・「あの曲のこざかしいところは」「小さい時の気持ちを人質にとって」
・夜学バーに来たらもっとひどいことがたくさん聞ける(かも)
・「大人になったら忘れてしまうよね」は嫌いなのだ
・大人になっ「ても」というところに引っかかってしまう
・今、素敵な気持ちを持ってくださいって僕は思うんです!(誰に言ってんだろうね)
・傲慢で不親切なジャッキーさん
・年をとるピーターでいたい
・小沢健二さんも「僕は年をとるので」と言っていた(邪悪は年をとらない)
「本当に誕生するのはパパとママのほうで 少年と少女の存在はベイビーたちが続けていくよ」(小沢健二『涙は透明な血なのか?(サメが来ないうちに』)
・邪悪は若い女の人の肉体に宿る
・少年と少女という概念はベイビーたちが引き継いでいく
・「出番を終えた若い詩人たちがリハーサルを終えて出てくる」
・ピーター・パンという概念は続いていく
・年をとりながらも、その概念の片棒は担ぎたい
・年をとりたくない、とかアンチエイジングに命かけるということではなく、ともあれニコニコしていたい
・自分がピーター・パンでしかないならば、「再会」ができない
○『ピーター・パンとウェンディ』について
・ピーターが大人にならないから好き、というわけでは全くない
・ともかく面白い、とりわけ序盤の語り口がすさまじい
・ぷにょさんも言葉づかいや言い回しに感動した
・「こんな言葉浴びたことない」
・なんとなくショタコンになった気はするけど
・ピーターパンという存在に憧れたわけではない
・大人になりたくないと思ったこともたぶんない
・一度出会った友達と二度と会えないのはイヤだ
・ピーターは、概念としての子供たちと遊んでいるだけで、同じ子供と遊ぶことはない(あったとしても忘れている)
・ピーター・パンになるのは寂しい さよならだけの人生
・再会できる人間になりたい
・ウェンディと遊べないのは耐えられない
・ジャッキーさんの元同僚たちの話……
・新鮮さを求めているようで、同じものを享受しているだけ
○ピーター・パンにならないために
・「再会」を前提に人と付き合っていたい
・そのためにはピーター・パンになってはいけない
・ピーター型だと誤解されがちな人間 ジャッキーさんも、小沢健二さんも?
・「過ぎたことにしない」という姿勢
・うしろを振り返らないで、前ばかりを見ていると
・見える角度が広がっていく
・おばあさんにも見えるし、少女にも見えるような人
・すべてを引き連れて年をとっていく
・きれいにたたんでたんすにしまう
・同時に取り出せる
・ジャッキーさんの好きな老婆
・金沢の「純喫茶ローレンス」
・わたしは年老いた森の小りす
・「年老いた」と「小りす」は同時にありうる!
・都会だけど森の小りす、というのもとてもいい
・その極致は楳図かずお先生 存在自体が芸術であり神的なもの
・生きているだけで意味がある
・筆を折ってからのこと
○剣の達人は剣を持たない
・その道を究めると、それが要らなくなる
・もはや描く必要すらない
・丸腰なんだけど誰にでも勝てちゃう感じ
・夜学バーにて、あるお客さん「水しか飲めないけどいいですか」
・飲食店なのに飲食物を出さずに成立してしまう……!
・夜学バーの「自習」という制度(?)も、飲食店なのに飲食物を出さないで成立させてしまおうという目論見なのであります
・最終的には何も出さないお店にしたい(楳図かずお状態!)
・あくまで飲食というのは手段でしかない(目的化したものが普通の飲食店)
・店を究めると商品は要らなくなる
・店の本質は商品にはないのかもしれない……
・ネット通販やUber等があるのに
・商品で勝負するのはジャッキーさんには向いていないし、これからの時代はそっちではないのではないかと思う
・水だけを飲んで、まとまったお金を払っていってくださる方
・北海道の幌別にあった「悦」という喫茶店の凄さ ママは何もせずコーヒーも出ないのだが、店として成立していた
・ちなみに「純喫茶ヒッピー」さんのことです
・「あること」「いること」がすなわち価値となる
・それは儀式のようなもの
○「世代」について語ろうと思っていたが
・ともかく「時間」というものについて話したいのだ
・例の、ピカソが絵を描くのにかかった時間のこと
・過ごしてきた人生の時間が重なり合う
・何も飲み食いしなくても「夜学バーっぽさ」は損なわれない
・そこが伝わってるってことが嬉しい
・自由さとか幅をもたせる
○次回予告
・もうちっとだけ続くんじゃ
Duration:00:43:38
#071 世代・年齢・時間② 誰かがだれかを「卒業する」ということ/出逢い、別れ、再会すること
4/15/2024
【目次】
○卒業という概念
・人間と人間の間にも「入学」と「卒業」がある
・憧れて、好きになって、近づこうとする(入学)。でもどこかのタイミングで離れてしまうことがある(卒業)
・卒業したら関係ない、という考え方がジャッキーさんはきらい
・「若い頃には必要だったけど」という切り離し方
・そんなこと当たり前でありますから
・入学されがちな人間
・先生だし、下の世代に目を向けがちな人間(J)
・憧れの存在と「一致(一体化)をめざす」のは自然だが、同じになれるわけがない
・自分は自分の人生をつくっていかなければならない
・いくら小沢健二さんに憧れていても
・新しいスターとして……!
・「空自認が星なんで」
・入学することは当たり前、卒業するのも当たり前
・「ジャッキー違ったわ」と姿を消すか、「こういうふうに違うんだ、じゃあこういう関係でいたほうがいいな」となるか
・憧れが解消されれば、上下がなくなる(不均衡がなくなり、対等になれる)
・ある意味「はやく卒業してほしい」
・ジャッキーさんだけに入学するわけではない(重要)
・過去とは違う付き合い方をすればいいだけ
・最初の気持ちが大きすぎると、それが冷めてしまったことに気まずさを覚えたりもする
・むしろ冷めてしまったことを喜ぶのがジャッキーさん、かもしれない
・いろんな意味の卒業生が来てくれる(夜学バーは職員室、というか国語科準備室、いや尾崎準備室?)
○古い友人たちの話
・比喩的には「卒業生」なのだが、そう書くと「上下関係」が香り立ちすぎてしまう。あくまで比喩でしかないということをご理解ください 何よりも先に友人、友達なのです
・Aくんの話 いろいろ書くべきことはあるのだが詳しくは本編で
・「1年前と比べたら赤ん坊と兵隊だ」
・男子3日会わざれば……会わないことが実は重要!
・目の前に大きすぎるものがあると、学ぶことは多いがそればかり見ているのは必ずしも良いことばかりではない
・逆に、「目の前にいるすごい人」が邪魔なこともある
・会わないことによってオリジナリティが伸びていく
○総集編のような4日間(再会の記録)
・木曜日にAくんが来て、金曜日にも……(ここから先は似たような話の繰り返しです
・高校時代の同級生(Bとしよう)の話
・エネルギーの大きいやつ同士が近づいてしまった問題
・18年くらい?会わなかった
・なぜ僕の近況を知っていたのか? ホームページはすごい
・お店もサイトも、再会のため
・生き方や考え方が違う人間がたまたま出会った、もちろん重なる部分もあった
・ちょっとずつ笑い話になっていく
・時間ってすごく必要 それ以上に「離れること」の重要性
・離れたからには、再会がなくてはならない 面白いから
・日記を書いているからこそ「変わってない」ことと「成長・成熟している」ことがわかる Podcastも今の「声」を伝えるためでもある
・SNS社会は「再会」がしやすい
・同じ日、高校時代の一個上の先輩(大親友)も来ていた(Cとしましょう)
・高校時代のジャッキーさん「ついに自分よりすごいやつが現れた!」(不遜)
・かっこよさ、スター性、言葉のきらめき
・自分とは正反対の道を歩んでいった彼
・友達の変化は歌手の「音楽性の変化」に近いのかもしれない
・もうしばらく「友達の話」にお付き合いください
・変わらない部分は変わらないのである
・そして金曜日のこと その高校時代の二大巨頭(B、C)がたまたま夜学バーに来て、肩を並べて飲んでいた(自分だけが面白い感動的光景)
・3人の目に見えない戦い(?)、みな衰えがない
・その能力(技術)はきっと仕事でも生きている
○話は逸れて、岡田淳さんのこと
・舞台『ふしぎな木の実の料理法』アフタートークでのお話
・岡田淳さんも演劇をやりたかったが、事情により教員になった
・ジャッキーさんも、もし親の借金とかいった事情があれば地元の公立中高の教員に落ち着いていたかもしれない その中で自分にできることを探っていたかもしれない
・教員、作家、演劇を結局はすべて全うした岡田淳さんのすさまじさ
○最後にもう一人
・日曜日にきた中学校教員時代の教え子(Dとする)
・一緒に東京から京都まで自転車で走るほどの仲
・高校くらいの時すでに「尾崎とは根本的に違う」とわかっていた
・そして静かに心は離れてゆくと
・夜学バー閉店中、新宿で奇蹟の再会を果たす
・お互い大人になってましてね
・ジャッキーさんはピーター・パンなのか説
○次回予告
・次は(ジャッキーさんが異様に詳しい)「ピーター・パン」という概念について
・ジャッキーさんは「再会」に命をかけている(コレクター)
・再会をストーリーに織り込んでいる
・エンデ作品のような無限の広がりと、その回収
・橋本治『蓮と刀』における幼児語という概念(詳しくはYouTubeに僕の講義があるので探してくださいませ)
・「幼児語って完結しながら続いていくんだもん」
・物語は、完結しながら続いていく 終わりながら続いていく
Duration:00:40:29
#070 世代・年齢・時間① 「自立」して(目上の)男のもとを出ていった女は、そのあとどうなるのか?(『哀れなるものたち』を例に)
4/8/2024
【目次】
○おわび
・#67から#68までの間に2週間あいてしまったこと
・作者急病により
・→確定申告を諦めた瞬間に治った
○今日のお茶は
・ゲイシャ(むかしでいうとブルマン?)
・中板橋「白鳥」のスワンシュー
・行きたいときに名店、名品はなし
・夜学バーとか、夜学バーのナポリタンもお早めに!
・ぷにょさんがどうしても食べたかったミルフィーユ
○映画『哀れなるものたち』と『ピグマリオン』
・ぷにょさんが語りたい『哀れなるものたち』という映画
・#66らへんでも話題に出た『女王陛下のお気に入り』のスタッフ
・『ピグマリオン』を『マイ・フェア・レディ』でサンドイッチした映画??
・胎児の脳を女の人に移植した(楳図かずお先生の『洗礼』を思い出しますね)
・逆コナン
・序盤、マッドサイエンティストに育てられた逆コナン女性(エマ・ストーン)がマッドサイエンティストを捨てて出ていく
・『ピグマリオン』型(ここであらすじをさらっと語っています)
・有名な『マイ・フェア・レディ』ではヒギンズ(教授)とイライザ(花売り娘)は結ばれるが、『哀れなるものたち』ではどうなるか?
・「途中で放牧するの」
・精神状態が10代くらい?になったとき、マッドサイエンティストのもとを出て行き広い世界へ→好き放題の大冒険
・『ピグマリオン』では最後に出ていくが、『哀れなるものたち』はわりと序盤で出ていく
・「女の人が自立して男のもとを出ていく」のあと、どうなるのか? その二人はもう二度と出会わないのか? どんな関係に落ち着くのか?
・【ネタバレ】逆コナンは、男と一緒に出ていく
・名うての女たらし(PB)
・世界を知っていくにつれ、その男への気持ちは薄れていく
・最後までネタバレしちゃいますか?
・「言っちゃうと、Podcastって」←わるぐち?
・「映画とかも観ないで知りたいんですよ」
・脳親はなぜ死んだか
・【ネタバレタイム】
・新しい家族の形!
・かなり悪趣味な終わり方
・みんなが何かを言いたくなるような映画
○ジャッキーさんの感想タイム
・男と女、年上と年下
・何人かの(年上の)男たちによって引っ張っていかれるのだが、どこかで別れが訪れる
・「卒業」という概念
・ギャップによって惹かれてゆく、需要と供給(需要と需要)
・たとえば、10代と30代で付き合うカップル
・年上に憧れる年頃のこと
・それは男同士にも当然ある(おそらく女同士にも)
・ジャッキーさんはどちらかというと……
・セーラームーンに憧れる→タキシード仮面に憧れる という流れ
・夏目漱石『こころ』にあった、「恋に上る順番なんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」というくだりを思い出す
○次回予告
・この4日間の夜学バー営業はすごかった!自分の人生の総集編かのような……(年度末だから?)
・自分が憧れた人や、憧れられていた(たぶん)人
・「卒業」と「再会」ということを考えていた
・『ピグマリオン』は出ていきっぱなしだが、『哀れなるものたち』は戻ってくる話
・人生は「再会してこそ」
Duration:00:33:04
#069 世代・年齢・時間(導入編…16歳の旅の話/現代人の若さと「大人」なるものについて)
4/1/2024
次回#70からしばらく、世代、年齢、ジェネレーションギャップ、ひいては「時間」そのものについてのお話が続きます。(『モモ』から引き続いて時間の話なのです。)
今回はその導入として、ジャッキーさんの高校生の時の話から、人間の若さについて?など、さまざまな方向へ語り歩いてみました。
【目次】
○今日のお茶は
・菊のお茶
・今日のテーマにふさわしい?
○世代間ギャップ
・氷砂糖エクスプレスとは
・パーサー
・保母さん、看護婦さん、スチュワーデスさん
・このあと世代や年齢という話をしたいので、今回はその「第ゼロ回」
○高校時代の列車旅行
・16歳のジャッキーさん、青春18きっぷで名古屋から北海道へ
・ドラえもん関連のイベントをめぐる旅だった
・快速「海峡」がドラえもん列車に
・津軽海峡の中の「吉岡海底駅」にドラえもんの町が再現
・函館駅もドラえもん仕様になっていた
・帰りは七戸の「藤子・F・不二雄の世界展」へ
・札沼線ではドラえもん列車に巡りあえず
・同級生のすすめで「美瑛」へ
・なぜか二駅前の千代ヶ岡駅で降りてキックボードで向かった
・「飲む寒天とうがらし」の想い出(頂き僕)
・美瑛に着いた頃にはすっかり真っ暗になっていた
・ちなみに、8月13日から20日まで、一度も宿に泊まらず、すべて車中泊か野宿であった 泊まるという発想がなかったし、泊まれるようなネットカフェもなかった
○人生を変えた改札での一瞬
・とりあえず美瑛駅を出ようとすると、赤ら顔の男性に声をかけられた
・パワーワード「今夜はおじさんと一緒に寝ようよ」
・もう一人、京都大学のお兄さんもいた
・どうすべきか迷った長い長い一瞬
・「面白そう」を優先して賭け、うまくいった成功体験
・まず銭湯に連れて行かれる(今思うと……)
・旅を愛し旅に生きる「ミスター」
・バイクから自転車へ、自転車から徒歩へ
・ジャッキーさんの地元さえよく知っていた本物の旅人
・一周目はこのルートで、二周目は心のおもむくままに
○再会を求めた20年
・ミスターの消息を追い、美瑛にも二度行って聞き込みをした
・情報が少なすぎてインターネットも役に立たない
・ところが、2021年の「平成のジャッキーさん展」において展示した高校生の頃のメモ帳に、ミスターと京大の青年に書いていただいたメッセージを発見。ミスターの連絡先も明記されていた
・この火が消えるまえに連絡しないと!
・その場ですぐさま電話した
・御母堂を通じてなんとかミスターとメールすることに成功……!
○ついに青森で再会
・メールは10日間見ないし、電話番号の登録の仕方もわからないミスター(20数年前からケータイ持ってるのに……)
・八戸にいるときに電話したら「明日会おう」と急展開
・青森駅前で差し向かい、4~5時間の会食
・こちらからしたら巨大なインパクトだったが、ミスターのほうはほとんど覚えていない
・こちらの記憶と寸分違わぬ姿
・話題は「旅あるある」に終始
・コロナ到来以降は旅ができていないそうな
・お金かけなきゃかけないほど楽しい
・つらい思い出のほうが印象に残る
・衝撃的なミスターの年齢、当時32歳だった!?(50歳前後だと思っていた)
○大人の年齢について
・ジャッキーさんとぷにょさんも、おじさんとおばさんでしかない(しかしその自覚がない)
・55歳のミスター、70歳くらいに見えなくもない
・とっちゃんぼうやか、ぼうやぼうやか
・9歳自認だからといって友達面して9歳に近づくと……
・年齢ってのは意味わかんない
・中学の時の先生も、あれで30過ぎだったとは思えない
・子供には大人の年齢ってのはよくわからない
・「大人なんて子供ですよ」
・40歳からは初老
・何の責任感も持ちたくない
○「今の人は若い」はどのくらい本当なのか
・昭和40年代くらいのドラマを見ていると、(今の感覚だと)年齢より20くらいは老けて見える
・老けるのが遅くなっているのか、そうでもないのか
・技術の発達もある
・YOU(59)とかすごい
・安達祐実もすごい
・東京と田舎でもまた違う
・東京のお年寄りは腰が曲がっていない
・「気持ちの持ちよう」が大きいか
・僕たちは大人になった気持ちがないというだけ
・白髪について
・「白髪も居心地悪いだろうね」
・まちがいなく結婚、出産の年齢は遅くなっている
○「大人っぽい」ことの価値が下落
・むかしは「大人ぶりたい」があった
・「大人」であることの価値が下がった
・1980年までは「姉の時代」だった(詳しくは畑田国男『妹の力』)
・山口百恵(姉)→松田聖子(妹)の転換
・年表から見る、妹の時代
・かわいい、妹っぽい感じがウケてた
・男性アイドルにしても、男らしさからかわいらしさへ
・若さ、フレッシュさへの過剰な偏重
・サザエさんからちびまる子ちゃんへ
・「みんなの妹」は言うことを聞いてくれるし、叱ってもいい
・自分のコントロール下にあるもの
・「女が完璧に舐められる時代」でもある
・「若いほうがいいよね」の危険性
・みんなが若く見えるのはメイクが幼くなっているだけ説
・安達祐実のメイク変遷を例に
・あどけなさが強調されるメイク
○男と女の原則は
・ドラえもんはアップデートされていない
・アラレちゃんはアップデートされましたね(そしてすぐに終わりましたね)
・ドラえもんは「兄」だからそれで成立しているのかも
・鬼滅の刃も兄の話だった
・「兄と妹」という構造 男の人は優位に立ちたい
・原理原則が支配欲
・女もいつまでも言うことを聞いているばかりではない
・『ピグマリオン』では「育てる側」の男を捨てて出ていく
・アメリカの陰謀!(前回の続き)
・女の人の弱さの形が変わっていった
・「かわいい、かよわいわたしを守って」は必ずしも愛ではない、強くなった暁には手を噛んで出ていきます
○話を修正します
・16歳の時に出会った「ミスター」には会えました
・15歳の時に出会ったFさんとOさんも消息がつかめた(まだ会ってない、早めに会うつもり)
・自分の高校時代にけりをつけたい
・ジャッキーの恩返し
・物語は続いている(いい思い出化できない)
・エンデの『モモ』『はてしない物語』ふたたび
・読みたい続きを自分でつくってゆくのだ
・ぷにょさんは義理堅く、今付き合っている人のことでせいいっぱい
・ジャッキーさんはさして義理堅くなく、物語を追うことが楽しくなってしまう
・ミスターいわく、旅に魅入られるということは、パンドラの箱を開けたようなもの
・家庭とか大事にできない……
・ジャッキーさんは旅人か否か
・おなじみ?「ジャッキーさんはムーミンかスナフキンか」論争
・ぷにょさんは「行かないで」と言われたら行かないが、「行っておいで、待ってるよ」と言ってくれる人が好き
・宮沢賢治『雪渡り』はそういう話である
・上の3人のお兄ちゃんが「行っておいで」と送り出し、迎えに来てくれる
・これが「大人」の態度なのである!
・弟目線だからそれが好きなのかもしれない
○次回予告
・ジェネレーションの話をしますよ!
Duration:01:02:00
#068 ミヒャエル・エンデ『モモ』③ 前を向かされる現代人/なんのために本を読むか
3/25/2024
【目次】
○なぜかまず謝罪
・「反省してまーす」
○18章「前ばかり見て、うしろを振り返らないと……」
・ゆっくり歩くと速く進む、急いで歩くと進まない
・ま~た2016年冒頭のSMAPの話
・木村拓哉「前を見て、ただ前を見て」
・「振り返るな」は本当か?
・モモのように、後ろを見ながら前に進むこともできる
・なぜ過去を否定するのか
・後ろを振り返ると、モモのような考え方ができるようになってしまうので、前だけを向くように洗脳されている
・もっと上に! もっと稼げ!
・ジャッキーさんのどうでもいい話:自転車と向かい風
・後ろを振り返ってこそ、見えてくるものってあるよね
・ここでは述べる隙がなかったけどこの話のあいだJはずっと岡林信康さんの『絶望的前衛』という曲のことを思い浮かべておりました
○「もう古いの計画」とSDGs
・すでにあるものに目を向けられたら「消費」が落ち込んでしまう
・「最初にできたのはiPhone4だった」説(小沢健二さんの900番講義でも語られていた話)
・本当のレトロ(たとえば古い喫茶店)にお金を払っても大きなお金の流れは生まれないので「ニセ純喫茶」が量産される
・ようやく浮上してきた「サステナブル」
・「お金を儲けながら」SDGsを進めていかなければならない難しさ
・最近(2月後半)の異常気象について
・焼け石に水ではあるが
・山肌がソーラーパネルで埋め尽くされること
・お気に入りの風景がどこにでもある風景に変わってゆく
・木更津にスターバックスができますように
・「(世界中)どこに行ってもスターバックスがあるような」
○世の中はどう動いていくといいか
・さまざまなみんなの要望を少しずつくみ取っていくしかない
・観測できるようにするか、「存在するだろう」と想像する
・本来は全会一致がいいのだろうが……
・居心地の悪さの源泉――小沢健二さんふうにいえば「灰色」
・不同意性交等罪と「すべての詐欺には同意がある」
・灰色や灰色の男たちが「インチキで人をまるめこむ」ことに対して、人々はちゃんと合意している
・アメリカ大統領選挙の話、個別の小さな広告をピンポイントで
・「まるめこみ」をなくし、本当の心をあらわせないだろうか?
・まるめこまれないような視点を持たないと
・橋本治さんはずっと「みんなが少しずつかしこくなるしかない」と言っていた、とJは思う 『大不況には本を読む』もそう
・ナオキマンさんの陰謀チャンネル 日本テレビとCIA
・『アメリカ横断ウルトラクイズ』も日テレなり
・放送と本
○なんのために本を読むか
・本とか読んで、いろんな人の意見を採り入れていく
・人に騙されないために、防衛のために本を読む
・犯罪者の手記だって役に立つ
・ミステリも人の心理を知ることができる
・本を読んだら「だいたいすでに書かれている」解決方法も、解決しなかった場合の結果も
・人生の予習ができる!
・自分の生き方の指針もできてゆく 登場人物や作家がロールモデルになったりなど
・「本」の解像度の高さ 「本っていちいち書いてあるじゃん」
・本を読んでおかないと映画を読み取れないのでは?
○陰謀はありまぁす
・歴史とは陰謀の連続である
・陰謀は存在するのである
・陰謀論とは陰謀を隠蔽するために生まれた言葉なのだ
・「陰謀考えようぜ」ではなく、もっと自然に、少しずつできてゆく
・都市伝説も似たような装置、「木を隠すなら森の中」になる
・これらも丸め込みの一つ 「オカルト」「スピリチュアル」もそう
・小沢健二さんは、日本人というのは「木も歩くかもね~」とか自然に思うみたいなことを言っていた(『我ら、時』というライブ盤で聴けます)
・相手と自分とで見え方が違うのかもしれない
・映画『怪物』でも、それぞれの見ている世界の違いにより怪物が生まれてしまう
・芥川龍之介『藪の中』や森鷗外『高瀬舟』
・本とか読んでると、けんかすることに意味がないと思えるようになる いろんな考え方、立場、状況、環境、すなわち「事情」を想像できるようになると心が広くなる
・「想像力を超える現実はない」
・「事実は小説より奇なり」は、現実を舐め腐ってるから出てくる言葉byジャッキー
・「事実なめんなよ」
・どんなことがあっても、「このくらいのことは現実なんだから起きるよね」と思える
・「想像できることは起こりうる」
・想像できるようなことくらいは、受け止められるくらい現実は大きい
・「現実なめんなよ」
・現実とはすごいものなので、きっちり想像力を張り巡らしておいて、そのギャップを埋めておくとよい
・現実を小さくとどめさせようとするのも「灰色」のやり口
・そんなちっぽけな現実にはめこまないでいただきたい
・「ノアが方舟を作ったときも笑われたんだ」
○『モモ』に戻るぞ
・あとがきによると、エンデはこの話を汽車で乗り合わせた人から聞いたらしい
・「そういう設定」「設定? 現実なめんなよ」
・小沢さんも「僕の友達のうさぎくんが」とか言う
・想像できることは起こりうる、ということを言っているのかも
・これから先も、いろんなところで起こりうる
・『はてしない物語』の「それはまた別の物語」という壮大さ どこかでそれは続いている
・花を愛し、歌を歌い、返事じゃない言葉をしゃべりたい
・不要不急とされがちだが
・杉村太蔵「僕の講演会ほど不要不急なものはない」(これを自分で言って、あえて舐められるポジションにいようとするのは彼の戦略である)
・『モモ』はこの世界のことを書いているので、この世界の話をすることになる
○亀の甲羅に文字が……?
・ソレデハ……
Duration:00:57:53
#067 ミヒャエル・エンデ『モモ』② 小沢健二『うさぎ!』をヒントに/宗教と死生観 ※途中からほぼ悪ノリ
3/4/2024
氷砂糖のふたりを引き合わせた(!?)ミヒャエル・エンデの『モモ』を材料に、いろんなことを話します。
発表当時(2005年10月~)から「『モモ』っぽくない?」と言われまくっていた(はずの)小沢健二『うさぎ!』を引き合いに出していたら、いつの間にかわけのわからない話になってゆきました。
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【目次】
○ミヒャエル・エンデの『モモ』について語る
・つもりが、『家なき子』と『アニー』の話ばかりしてしまった
・改めて、かんたんなあらすじを
・話を聞くことが得意な「モモ」という少女
・おそろしい存在「灰色の男たち」、インチキで人をまるめこむ時間どろぼう
・「時間を節約しましょう」「老後に回しましょう」と迫ってくる 生活から「無駄」を削らせる
・「時は時なのです、お金ではありません」
・子供たちがまず、違和感をもつ
・モモが時間を取り戻しにゆく
○いよいよ小沢健二さんの『うさぎ!』も出てくる
・「灰色」という存在が出てくる
・大きなお金の塊を大きくする お金は人間だけが持ってくる
・「恩返し」のような無償の行動を灰色は嫌う
○『モモ』と『うさぎ!』との類似点と相違点
・「灰色の男たち」と「灰色」
・時間やお金に関する態度はとても近い
・偶然なわけはない、が、似て非なるもの
・『うさぎ!』にはモモのような救世主は登場しない
・いずれにしても大切なのは「みんな」である
・「物語の力」
・うさぎたちは基本的に「見ている」そして「話し合っている」
・傍観者、旅人の視点(小沢さんの視点?)
・このあたりの話が、「ぷにょさんが初めて聞いたジャッキーさんの噂」にかかわります
・小沢健二さんはブッダのようなもの……?
○【ここから大暴走】もし小沢さんが2500年前に生まれていたら
・いまごろ楽曲はすべてお経として定着し、重要な儀式では『天使たちのシーン』が歌われているはず
・いきなり「昨日と今日がくっついてゆく世界で」とか言われたら、世界はひっくり返るはず
・世界中の人が意味もわからず「カイガンヲ~」とか歌ってるはず
・ぽろっとだけ900番教室の話が……(どこかわかるかな?)
・もしそうだったら今ごろは誰もが花を愛し歌を歌い……
・しかし教義は変容するもの、そのうち上座部(小乗)小沢と大乗小沢のように分かれてゆく
・『LIFE』派と『犬』派とか
・念仏とかマントラみたいにもなってゆく「ラブリーラブリーウェーイだけ唱えれば救われる!」
・福音派、原理主義者もいる「イントロからぜんぶ大事だから!」
・ギターを超練習する修行僧
・録音したものだけを信じる過激派も生まれ、ゲリラ演奏会を催しては当局(?)に潰される
・みんなで歌ったりカバーすることが推奨される国もあれば、原盤至上主義もあり、伝統的な編成や演奏以外は許されない
・神、精霊、小沢健二の三位一体
・日本武道館は聖地となるが、そこを聖地と見なすミュージシャンはとても多いので、大変な争いが……
・ドリフターズ十字軍との聖地奪還戦争
・『うさぎ!』はおそらく教典となりうるが、偽書と主張する学者も登場(プラトンの書簡のように一部だけ偽書と見なされる場合も考えられる)
・「なぜクィルがトゥラルパンに変更されたのか」とかの解釈でめっちゃ揉める
・公会議によって正統と異端が決定される
・フリッパーズ・ギターのCDは燃えないゴミの日に捨てなければならないかもしれない!
・くだらない話をしちゃったな……
・ファンにはインテリ層が多いので、ありえない話でもない……
○手塚治虫もかつてはインテリだけのものだった、説
・呉智英先生の証言「みんな鉄人読んでましたよ、一部のインテリっぽい少年だけがアトムを読んでた。その人たちが大人になって権力を握ったから、没後に一層神格化されたのだ」
・小沢健二ファンにもメディア関係者が非常に多い、彼らが近い将来本当のトップに立ったら
・「ちょうどいいタイミングで亡くなっていただいて、三日後に生き返っていただいて……」
・『うさぎ!』も『ダディ』くらい売れる
・夜学バーの一時閉店と、小沢さんのNY移住
・尊敬する人物に対して本当にそれはちょっと
・「リニア乗りたい、名古屋行く」→センチュリーホールでライブ
○生き返ったら神様?
・余談:ONE PIECE(ひとつなぎの財宝)とは「死んだ人が生き返る(会える)ということ説
・『ダンジョンズ&ドラゴンズ』も同じ
・『森のなかの海賊船』も同じ!
・人間の考える「一番望むもの」
・物語の究極、ここにあり
・『ドラゴンボール』のすごさ(これは詳しく話すと長い)、独特の死生観
・死なないと世代交代が行われない
・生死とは呼吸のようなもの(byジャッキーさん)
・神話の世界では「死」の誕生が描かれがち?
・死ぬのはイヤだけど死なないのも困る
・「愛すべき生まれて育ってくサークル」
・「死んで箔をつける」というキリスト派と、「死にますね」というブッダ派
・すべて冗談ですよ、ジャッキーさんとかいう人の言っているのは
・「もっと光を」とか言わないかもね
・なんで小沢さんが死ぬことばかりを考えているのか
・確かに大事な人の死については考えてしまうものだ
○次回予告
・ひどい悪ノリを反省するふたり(主にJ)
Duration:00:41:49
#066 ミヒャエル・エンデ『モモ』① 概要編:『アニー』『家なき子』『ピグマリオン』を参考に
2/26/2024
氷砂糖のふたりを引き合わせた(!?)ミヒャエル・エンデの『モモ』を材料に、いろんなことを話します。
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【目次】
○ミヒャエル・エンデの『モモ』について語る
・ 本のかんたんな説明
○お茶の話
・「ちょいちょいお茶をくれる友達」の存在は人生の豊かさの証明?
・お茶をゆっくりと飲む時間が大切
○『モモ』とはどんな作品か
・「時間どろぼう」「時間貯蓄銀行」という概念
・ジャッキーさんとぷにょさんの出会いのきっかけ
・1973年に出版(オイルショックの年)
・心をなくしてしまった現代人への警鐘?
・反政府的な内容として発禁処分になった?
・勤労意欲とかを削ぐような内容
・「そんながむしゃらに働いて幸せですか?」
・1973年に日本では高度成長が止まる
・拡大、成長路線の見直し → スローライフ、ていねいな暮らしのほうへ その元祖が『モモ』?
○モモってどんな女の子?
・聞く力がある
・岸田文雄首相の話
・「あの人ですか、あのメガネの?」
・ちょっとサイコパスじゃないと決断が下せない?
・政治とは!(氷砂糖らしからぬ?話題)
・モモの話の聞き方は
・文庫版23~24ページあたりを参照
・引き出したり質問をしたりするわけではないのに、話しているほうは「きゅうに自分の意思がはっきりして」くる
・「おれはおれなんだ」「おれはおれなりにこの世の中で大切なものなんだ」と思える
・モモは浮浪児です
○『アニー』や『家なき子』との比較
・孤児院を抜け出して、ホームレスたちと歌って踊る……そこまではジャッキーさんは『アニー』が好きだった 「これからとんでもない冒険がはじまるぞ!」ところが……
・そのあとお金持ちに引き取られ、『マイ・フェア・レディ』のようなシンデレラ・ストーリーになっていく
・アメリカ的なサクセス・ストーリー 物質的な豊かさに向かって
・『アニー』の初演(ブロードウェー)は1977年
・安達祐実主演『家なき子』(1994)との類似性
・「同情するなら金をくれ」
・ケーキを食べております ケーキとは、『家なき子』で菅井きん演じる「ババア」の名台詞によると「見栄と体裁の砂糖のかたまり」
・『家なき子』のリュウと『アニー』のサンディ
・『家なき子』のいじめっ子「真弓」は『アニー』の主演だった
・1994年は暗い時代だった その暗さの象徴的なドラマ
・オイルショック時に現れた少女、モモと通じる?
・時代は物語を必要とする
・すずは「けなげな少女」か「犯罪者」か
・安達祐実さんの凄さ
・少女というのは時代や文化を象徴するもの
・最も理不尽な状況にいるから?どうにもならないのに影響だけは受ける存在
・少年は破天荒にぶち壊して進んでいける描き方がなされがち
・すずは破天荒で、自分の力で未来を切り開ける存在だったかもしれない(アニーが破天荒なのは序盤だけ!)
・なぜアニーだけが選ばれ、ほかの孤児たちは選ばれないのか
・これが現実や!
○バーナード・ショー『ピグマリオン』のこと
・オードリー・ヘップバーン主演『マイ・フェア・レディ』の原作
・『マイフェア』ではヒギンズとエライザは結ばれるが、原作(『ピグマリオン』)ではエライザはヒギンズを見限って出ていく
・『女王陛下のお気に入り』で描かれるのも、アン女王への愛というよりは野心だった
・日本人の「恩返し」好き 愛が報酬である
・『アニー』会場のおぞましさ
・多くの人から選ばれる、という幸福観
・教育や受験の仕組みもそうなっている(「学校が悪いです」)
・バンドのライブとか見てても思います
・ホストクラブもおなじ
・その気持ちにつけ込んでお金を儲けるのはたやすい
○一方、モモがやっていることは
・誰と比べるでもなく、「おれはおれなんだ」と思える幸福に気づかせる
・『モモ』文庫版23~24ページに書いてある重要なこと
・こういう態度を夜学バーというお店も持っていたい
・「導いてあげる」とか「聞き出す」のではなく、自然に向き合っているなかで良い考えが浮かんでくるような場所や、人物でありたい
○次回予告
・もうちょっと物語の中に踏み込んでいければ……
・小沢健二『うさぎ!』の話にもなっていくと思います
Duration:00:33:28
#065 小沢健二さん私観② 多大なる影響を受け、結果「自分にしかできないこと」ができるようになった(ジャッキーさんの場合)
2/19/2024
ミュージシャンの小沢健二さんについて。前回はぷにょさんの個人的なお話しをふんだんに聞きましたので、今回はジャッキーさんの個人的なお話しを。今回もとても、面白いです。
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【目次】
○前回のこと
・小沢健二さんについて熱くなってしまう二人(いつもあんなにクールな我々が?)
○ジャッキーさんの小沢さんとの出会い
・兄が渋谷系好きだった(SUN/Kakkeという会社をやっているので調べてください、超面白いYouTubeもやっています)
・最初はテレビ(HEY!HEY!HEY!かMステ)で見て好きになった
・(ダイエーでもユニーでもどっちでもいいわ)
・CDは兄が持っていたので、自分で買ったのは中学になってから
・記憶が混濁している(ユニーで買ったのはカセットテープの『LIFE』を買ったところで、CDはブックオフだった気がします)
・すごく辛いことがあって外を歩いていた夏の夜、ふと口をついて出た『愛し愛されて生きるのさ』、そのまま『おやすみなさい、仔猫ちゃん』まで(つまりアルバム全部)通して歌い切れてしまった そこで「これって……自分はこの人が好きなんだ」と気づいた
・インターネットで小沢さんについて調べ(当時はそういうホームページがふんだんにあった)るなか、「LARK SIDE OF THE MOON」と「dolis party」というホームページに出合う。この管理人さん二人とは後に実際会うことになる(個人的にはすごいこと)
・それが「小沢健二ともだち」を探し続ける人生のはじまり
・CDや雑誌などを買い求めはじめる
・『犬』のライナーも暗誦できた(今もまあまあできます)
・高校の頃の日記には引用がたくさん どんどんインストールされていく
・しかしちょっと上の世代のものなので、まわりに好きな人が誰もいない
・むしろ若い人たちのほうがファン多い?
○二十歳で訪れた「小沢健二ファンの集う店」(!?)
・mixiで渋谷系好きの人と知り合って新宿の「ゴールデン街」に連れていってもらい、「世の中には(東京には?)こんなに渋谷系・小沢健二ファンというのがいるのか!」と衝撃を受ける
・「おい、小鳥」とは言わない(あたりまえ)
・「若いのに」と大型新人扱い
・カタコンベ信仰やカクレキリシタンのような。「ここへならベレー帽かぶって行ける」というような場所だった
・2005年『うさぎ!』、2006年『毎日の環境学』、2007年頃『おばさんたちが案内する未来の世界』とリアルタイムに併走
・自分にとってはタイミングがよかった
・13年ぶりの公式ライブ「ひふみよ」は2010年、そこからコンスタントに大きな活動を続けていく
・3ヶ月に1回供給(笑)される『うさぎ!』を毎回みっちりと読み込む日々
・ジャッキーさんは『うさぎ!』等の作品に違和感や嫌悪感はなかった
・『天使たちのシーン』や『ローラースケート・パーク』で歌われていることと同じと感じていた ぷにょさん「そうだよね!」
・小沢さんの考え方自体が好きなんだなと思った
○人生は生きるに値する
・『おばさんたちが案内する未来の世界』という映画
・多くの人は知らないし、知っていても観た人は少ない
・すごく大きな影響を受けた、「あてられた」と言ってもいい そこから「ものを考える」ということが加速していった、広がっていった
・自分の人生はここで終わり(「あがり」?)
・ミーハー人生はもう終わり!
・人生っていうのは報われるものである、とわかったことで、区切りができた気がする
・自分の人生を幸せにすることは可能である
・中学生の時に泣きながら『LIFE』歌っていた混沌の時代から、『うさぎ!』や『おばさん~』を通じて価値観がまとまっていった
・自分が好きなものがまとまっていって、言葉になっていった 岡田淳さんや、橋本治さん、奥井亜紀さんなども一本にまとまっていった
・ばらばらだった価値観がまとまり、「自分が何を考えているのか」がわかってきて、自信のようなものもついてきたから、学校の先生をやることもできた
・「ここから始められるぞ」「ここからつくっていけるんだ」という自信
○その後、国語科教員としてのジャッキーさん
・23歳くらいのときに生徒たちに配った長文プリントも、今読み返してもちゃんとまとまっている(それ以前はそんなもの書けなかった)
・すでに学級崩壊していたクラスを中途で引き継ぎ、「まずは仲良くなること」と「伝わらなくても理屈を説き続ける」ことを徹底した その一環として長文を書いて配っていた
・「要領よくやれ!」という題の懐かしき名文(ジャッキーさんのホームページで読めます、検索してみてください)
・(この文章の内容についてぷにょさんに褒めてもらえてジャッキーさんはとても喜んでいる)
・それをちゃんと最後まで読んだ人が何割いたのかはわからないが、刺さる人にはとても深く突き刺さった ただし読まれなくても、「なんかがんばってるな、気合い入ってるな」と思ってもらえるだけで意味はある
○それからどのように育っていくことができたのか
・一本の筋の通った物語もつくることができるようになった それによって『たたかえっ!憲法9条ちゃん』というむちゃくちゃふざけたお話ができた
・ばらばらだったものが一つにまとまる……番外編(#53~56で話した「推し」の話にもつながるかも?
・最初は「まねをする」だが、ずっとそれではいけない 「守破離」でいうと、「守」から「破」に進むべき時期
・「小沢健二ものまね芸人」ではなく、オリジナルのことをしなければならない そのためにわけのわからないふざけた小説も書いてみた
・世の中に一つもない、まったく新しい存在のお店をつくるようにもなってゆく
・夜学バーもまた次の段階へ?
○ちょっと休憩
・森永ダースを食べながらぼんやりと
○守破離としての夜学バー
・中3から22歳くらいまでは人生の「グル」のような、導いてくれる人というイメージだったけど、そこから自立したような感覚がある
・信者は信者でありつつ、一種の友達であったりもして、ちょっと茶化すようなことだってあっていい
・自分の道も行かねばならない
・夜学バーは「魔法的」というライブにかなり影響を受けている たとえば「意思は言葉を変え 言葉は都市を変えてゆく」
・最初のうちは「小沢健二の歌詞精読会」を催し、小沢さんファンの耳目を集め、ある種「質の良い」お客さんに気づいてもらおうとした それは小沢健二さんを好きな人への信頼でもある
・素敵な人たちに出会うため
・「小沢健二さん(を好きな人)の感覚を裏切らない自信があるお店」←大きく出たね。。。
○ぷにょさんにとっても
・2022年に初めてライブに行き(初消費?)、一つの区切りがついた
○「一般の人と有名な人」という分け方について
・なぜそこが分けられなければならないのか
・叩かれるから言わないようにしていたけど、最近は「なんかおかしいな」と思ったりもする
・駒場900番講堂講義の時の話
・一般人だから「これはやっちゃいけない」と怯えていた
・社交界のウチとソト
・無精なのか臆病なのか
・どんなものであれ褒めてもらえると嬉しいので、褒めなきゃな、と思っている うざいわけがない 絶対に少しはうれしがられるはず 「いつも思いっきり伝えてなくちゃ」(『戦場のボーイズ・ライフ』)
・22歳の時には言葉にできなかったが、いまはそれができるようになっているはずなので伝えたい
・岡田淳さんにも言葉を伝えなければいけない……
・どんなささやかにでも、伝えることは大事……
・自信を持って、勇気を持って、何らかの扉を開けることは無駄じゃない(喫茶店について語った回でも言っていたこと)
・汚い文字でも、一言でも二言でも、言わなきゃな、と思っている
・自分の好きなように、相手にも負担のないように……
・橋本治さんにファンレター書けばよかった……(サイン会には行きました)
○次回予告
・『うさぎ!』とか東大講義についても話したい
・話してほしいテーマ募集してま~す
・お店に来て語っていただいても大歓迎!!
・Podcastまあまあの人が聴いてくれているはずなのに反応が全然ない! うれしくないわけがないのでよろしければ褒めてくださいませ~
Duration:00:48:51
#064 小沢健二さん私観① 「たった一人だけ正気を保っている人」(ぷにょさんの場合)
2/12/2024
今回はミュージシャンの小沢健二さんについて。「氷砂糖」の二人が共通して好き、というのはもちろんですが、このポッドキャストの姿勢とか考え方に深く関わっていきますので、まんをじしてお話してみます。
「自分にとってどのような存在か」ということを通して、なにか大切なことを語れていれば嬉しいです。
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【目次】
○まんをじしての小沢健二さん回
・三つのO(小沢健二、岡田淳、尾崎昂臣???)
・星々をつないで物語を紡ぐ
・氷砂糖座
・「長方形と正方形がひし形を取り合って」
・前シリーズの喫茶店の話から繋がっている
・そもそも小沢健二さんがいなければ氷砂糖はない?
・わたしたちの隠しコマンド「小沢健二」
・このキーワードで開く扉
・「開けゴマ」=「小沢健二」
○いかにして氷砂糖の二人は出会ったか
・ミヒャエル・エンデの読書会で 『モモ』と『はてしない物語』
・『モモ』の回で小沢健二とエンデ、『うさぎ!』と『モモ』についてを熱弁していたジャッキーさんの噂をぷにょさんは聞いていた→『はてしない物語』の回で初対面(短時間だったけど)
・「その人は盛る人なんですよ」
・その場所も喫茶店でしたね
・今日のお茶 牧野富太郎植物園(高知)のハーブティー
・お茶菓子は「12個だからダースです」(森永DARS)
○小沢健二さんという人
・CDがバカ売れしていた時代にあって、しかし100万枚売れたミュージシャンではない
・『LIFE』や『カローラⅡにのって』ですら80万枚前後くらいといわれている
・ポリンキー
・ファンの人が「それぞれの持ち場で、小沢さんからの影響をうまく使って、宇宙の中で良いことを決意している」傾向が強い
・何を話しますか?
○ぷにょさんの小沢健二観(今回のメインテーマ)
・「一度も小沢健二さんを消費したことがない」
・心の栄養はもらっているが、商業的な貢献はしていないし、リアルタイムで享受していたわけでもない 自分の中で作り上げた「勝手な小沢健二さん」がいる 本当の姿とは違うかもしれない
・初めて聴いたのは1997年
・どんな人かも知らず、ただ歌詞の内容とおぼろげな写真(歌詞カードやジャケット)のみの情報しかなかった
○ぷにょくんの家庭の事情
・厳しい家で育ち、図書館以外でカルチャーに触れることがなかった
・「子供が勝手に何か楽しんでいる姿を1ミリも許してくれない」
・~このあたりの事情は本編で~
・マッチョ自認、というか本当にマッチョだった
・中学の3年間だけ、放課後に時間があったので、音楽を聴くこともできた
・ある朝、カーラジオで『大人になれば』が流れてきた
・「スパルタで育った人が急にローマの芸術を感じた」
・その時に「小沢健二」という名前を記憶し、図書館で探した
・声や甘い歌い方……自分の置かれている環境や価値観とのギャップ
・体育会系の世界の中で生きていたため、「こういう男の人っているんだ」という衝撃
・96年紅白歌合戦の『大人になれば』は名演奏
○そのころの時代状況について
・安室奈美恵やGLAYの時代 ヒステリックな歌?が多かった
・95年に震災とオウム、そして97年には酒鬼薔薇、ノストラダムスの大予言もまだあった……世相は暗かった 音楽も暗めのものが共感を呼んでいた節がある
・「僕と君の二人だけの世界」みたいなもの、悲観的なもの、ポップミュージックとはそんなものだと思っていた
・しかし小沢健二さんは「のんきな」(?)感じだった
・95年、97年といえば『エヴァンゲリオン』とも連動する 不景気、
・ミスチルの『深海』は96年
・95年に一番売れた曲、ミスチルの『Tomorrow Never Knows』は暗さ、先の見えなさの象徴だと思う
・その中で小沢さんの『ラブリー』のようなものは違っていた
○唯一の「持続可能」シンガー?
・ぷにょさんの認識「誰もが狂気を競い合っている中、一人だけ正気を保っている人」
・小沢健二『天使たちのシーン』について、「この人だけが持続可能な世界を歌っている」と感じた
・「このままでは壊れてしまう(持続不可能)」という感覚だった頃、「明日は見えない」「私だけひとりぼっち」
・その中で『愛し愛されて生きるのさ』と歌う小沢健二
・「もしかしてこっち? 絶望だと思い込まされていただけ?」と脱洗脳させてくれた、正気の人、小沢健二
・ぷにょさんの中では、「たった一人だけ正気を保っている、安心な人」
○小沢健二とさだまさし
・そのあと、さだまさしにハマる 実は同じ属性 柔らかい声、広く見通している感じ、自分自分ではなく、山だとか海だとか言ってる 客観的な視点
・シュッとしてカッコいい、ヴァイオリンも弾くおぼっちゃんキャラだったさだまさし
・だんだんメッセージがシンプルになってゆくもの?
・『関白宣言』のあとにしっかり『関白失脚』を用意してしまう、かしこい人ムーブ
・『検察側の証人』という曲のクレバーさ
・アガサ・クリスティ『春にして君を離れ』のこと
・98年1月発売の小沢健二『春にして君を想う』のこと
○さて小沢健二とは
・どこかで誰かの世界を開き続けている
・アーティストというより、「グル」???
・「歌手」という認識ではあまりなかった
・歌唱技術に特化しているというより、気持ちの込め方が……(言葉にできない)……もうちょっと引いている感じというか、投げつけてこない、そっと手渡される感じというか……
・酔わせてくれるのが歌手だとしたら、小沢さんは「冷ませてくれる」感じ
・「とりあえず聞いとこ」という感じ
・導き手ではありつつ、教団を組織するような感じではない 高いところにいる感じでもなく
・「山奥で修行してて、たまに街に降りてくるんだけど、3cmくらい浮いてる」←この元ネタはいつかの小沢さんのインタビューだったはずなんだけど出典忘れてしまいました、わかる人教えてください
・行く先々で小沢健二を好きな人に出会う
・同じものを受け取った人たち その受け取り方はそれぞれに違う
・「同じ通りを歩いてきたのかもね」「間違ってなかったのかも」
・しっかり地図見て歩いてきたわけじゃないんだけど
・スタンド使いは惹かれ合う?
・なんとなく似たような感性を持っている人たち
○次回予告
・今回はぷにょさんのお話、次回はジャッキーさんのこういう感じのお話です
・「遠心的に」語るのがふさわしい存在
・答えを探すのではなく、歩いてゆくのである
Duration:00:41:47
#063 喫茶の発想③ 喫茶店を使いこなす!「好き」から「必要」へ/街はもうゲームよりもゲームである
2/5/2024
喫茶店三部作の最終回!(「おすすめの喫茶店」について語る回もいつかやりたいので、続編きっとあります)
今回は自称「喫茶先生」のジャッキーさんが、個人的な喫茶店との付き合い方について語っています。
※2024/03/04音源差し替え、間違えて未編集状態のファイルをUPしてしまっていたため……。一ヶ月気がつきませんでした。
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【目次】
○喫茶店回3回め(終)
・1回めは「喫茶店の本質」について、2回めは「喫茶店に通う者の心得」について話しました
・「喫茶先生」ジャッキーさんとは何者、いや何様なのか?
・とにかく喫茶店が好きなのだ
・喫茶好きにもいろいろある スタンプラリー型、コーヒーが好き……
○ごく個人的な、喫茶店との向き合い方
・ジャッキーさんは「日常の中に喫茶店を取り入れていくことに命をかけている」
・多い年では年間300回くらい喫茶店に行ったと思います
・緊急事態宣言のあった年は500回くらい行ったのでは……
・同じ店にたくさん行く
・「喫茶店人50箇条」(前回参照)に「特定のお店の常連にならない」とある
・「世の中のために忙しくすべき人間」
・もうちょっとの間(50年くらい)かしこく、かっこよく、かわいくあらねばならない
・ゆえに、やることがいっぱいある
・暇だから喫茶店に行くのではなく、必要だからそこに行く
・本を読んだりマンガを読んだり
・どの喫茶店にどの雑誌や新聞が置いてあるかを覚えていて、情報収集の場としている
・モーニングでは『望郷太郎』と『二階堂地獄ゴルフ』に注目(どうでもいいが、ジャッキーさんにとっては大事なこと)
・ビッグコミック、ビッグコミックオリジナルは絶対に読む
・「2号ぶん置いてあるお店」もおさえている
・iPadとキーボードを出してやるべきことをやったり
・ビッグコミック一冊買うよりコーヒーのほうが安い
・「喫茶店は便利」ということが根本にある
・自分が行きがちなエリアの喫茶店を把握しておき、定休日、営業時間、ランチやモーニングの時間などを頭にたたき込んでおき、自分のその日の行動に合わせてお店を選ぶ
・自転車に乗るので、都内の移動は自由自在
・「喫茶店巡り」ではなく、「喫茶店を利用する」という発想
・そうしているうちに、だんだん研究が進み「喫茶先生」となってゆく
・東京と名古屋でカップが同じだったりする感動
・カップや椅子の種類によって開店の年代がだいたいわかったりもする
○街はRPG、ゲームよりもゲーム性が高い
・自分の世代では考えないような内容が聞こえてくる
・ネットに口コミも写真もまったくない、ある都内の居酒屋に行った時の話
・小沢健二さんが「900番講堂講義」で言っていた、「自分だけが見つけた」「自分だけが知っている」という気持ちになりづらい時代
・もはやゲームよりも、街そのもののほうがゲーム性が高い
・旅はまさにロールプレイングゲーム とにかく歩き回り、勇気を出して入ってみたお店で話を聞き、「情報をもらえる」 それをもとに次の店へ……
・何度も通ったことによってようやく知ることのできる情報もある(高知市の話)
・別のイベントをこなしてからもう一度行くと、新たなことを教えてくれる情報
・インターネット上になにも載っていないお店を見つけると、ワクワクする
・(非常ドアを開けるたびに胸がなぜかドキドキする 新しい世界に飛び出すスリル!←『ドリーム・シフト』という曲の歌詞)
・くり返しますが、最近は「誰も知らないものを見つける」という感動が少ない
・「インターネットに頼らずに維持できている」ということは、ちゃんとお客さんがいて、愛されているということ(ただし持ち物件の場合は多い)
・話は戻って、お年寄りばかりのお店で、八代亜紀さんの訃報を聞いた経験
・「(スマホに)出てる?」と聞かれた そこでなんとなく場になじむ
・お年寄りの方々は死因や病名、享年をまず気にするし、やたら詳しい
・世代による反応の違いをそこで知ることができる
・若い人間が知りにくいことがじんわりと伝わってくる、それで知見が広がってゆく
・お店はどんどんなくなってゆく
・古いお店が好きになった理由 祖母のお店「喫茶駒」のお想い出
○ジャッキーさんにとって喫茶店とは何か
・好きであるのは当たり前だが、自分にとって「必要」であることが重要
・習慣化と必要性によって「好き」が盤石となってゆく
・日本の文化を飲食店を通じて学んでゆく 民俗学的フィールドワーク
・歌舞伎町のとある喫茶店 ヤクザと水商売ばかり 会話がたまに物騒で面白い
○喫茶店とは自由な場である
・「ここで争いごとは起きませんよ」「マジ茶の湯じゃん」
・ひょっとしたら敵対する組織の人間同士で話しているのかも……
・「表出ろ」という言葉に宿る、お店(空間)への敬意
・海賊船の中でもそうらしい(#59へ)
○高知と喫茶店
・高知の人たちはやたらと表に出たがる
・自由民権運動の影響も?「聞かれちゃまずい密談」がたくさんあったか
・野外で行われがちだった「夜学会」の伝統
・数名の「ゾーン」をつくりたがる→それで喫茶店が多いのでは?
・なぜ高知に喫茶店がやたらと多いのか(全国平均の3倍近く)
・高知の女の人は「はちきん」で、働き者だから、喫茶店を開くのでは?説(≒男が飲んだくれて働かないから)
・東京ではなく、大阪や名古屋など喫茶文化の強い地方に出稼ぎに行っていたから、説
・日曜の朝は家族みんなでモーニング、という習慣
・ぷにょさんは高知の喫茶店(カフェ寄り)でバイトしていた
・普通の大都市は、土日に喫茶店が開いてないがちだが、高知は日曜開いてがち
・ぷにょさんの大学時代 カフェブームだった
・木のプレートで、ananやnon-noが置いてあったらそれはもうカフェ
・蔵を改装したらカフェ(適当)
・若い人が気軽に借りられる家賃なのもポイントか
・小諸の喫茶店「読書の森」マスターに代わりに(?)高知に行っていただいた話
○店師、旅師、散歩師Jの新規事業?
・「おすすめのお店教え業」でお金をとってもいいかもしれない 日本有数の店師(自称)なので……
・夜学バーにくるとなんでも教えますよ~ 僕の知らない土地でもその場で一緒に調べて考えます
○改めて、ジャッキーさんにとって喫茶店とは
・「生活の中に、いかに《必要なもの》として好きなものを取り入れていくか。好きだからってただ消費するだけでは暇つぶしに終わってしまう。それをいかに自分の人生に直結させていくかは、好きになった人間の仕事である。」
・ガイドブックに載っていない喫茶店 Googleマップだけでかなり精度の高いアドバイスができます!(Googleマップにほぼ情報のないお店ほど、すばらしい秘境だったりするのです)
・「旅とは、あるいは人生とは選択と判断の連続なんですよね。散歩もそうなんですけど」
・自分がピンときたお店の扉を開く経験は、必ず自分にとって意味のある行動になる
・自分の感性や判断を磨いていくための行為、失敗を恐れて扉を開かなかったら、磨かれていかないのであります
○次回予告
・次は、もっと熱くなるかもしれない「小沢健二」の話を!
Duration:00:43:15
#062 喫茶の発想② 喫茶店に通う者の心得とは?/50年後のカフェ事情/素敵なお店をつくるには
1/30/2024
喫茶店について語るシリーズその2。前回は「お店」の話だったので、今回は「お客」の側に立ったお話しを。
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【目次】
○今回は「喫茶店に通う側の態度」について
・喫茶先生ジャッキーさん(先生自認が喫茶先生)が語る
○喫茶店の精神と、沼田元氣、川島小鳥、小沢健二……
・沼田元氣・堀内隆志『ぼくの伯父さんの喫茶店学(カフェロジィ)入門』をご紹介
・沼田元氣さんと無銘喫茶と
・乙女と少女とこけしと珈琲と……
・川島小鳥さん(小沢健二リスナー)の師匠でもある
・喫茶店と小沢健二さんは精神として繋がっている
・沼田元氣『喫茶店百科大図鑑』もご紹介
○「喫茶人宣言50箇条」(前半)
・先述の『喫茶店学入門』に収録
・喫茶店に通う者としての心得
・喫茶店に通ったり出向く際には、行儀良く
・「情報を引き出そう」「情報を食べたい」という態度は避けるべし
・その人の居住まい、ふるまい、雰囲気のすべてが試される場所
・「すみません、レスカください」という不躾
・ホットコーヒーのことを「ホット」と言っていいのか問題
・お客が「もてなす側」を困らせてはいけない(お店の人に申し訳なさそうな態度をとらせてはいけない)
・喫茶行脚ツアー(はしご)人間
・居丈高はよくない
・「対話をせず要求だけをする」態度もよくない
・人の家に行って勝手に冷蔵庫を開けてはいけない
・お客が偉いから水やおしぼりがやってくるのではなく、「もてなし」の一環としてそれはやってくるのだ
○「喫茶人宣言50箇条」(後半)
・唐突に恋バナ(?)が始まる
・「喫茶人」にとっては、人生のあらゆる局面にカフェ・喫茶店が存在しているものなのだ
・夜学バーも精神としては喫茶店のようでありたい
・お店とは「開いている」ことが大事で、夜学バーが年中無休を良しとしている(最近はできていないけど)のは、「せっかく来てくれたのに開いてなかったら申し訳ない」という気持ちから
○カフェブームの行く先について
・ジャッキーさんには「カフェブームの落ち着く先がわかる」か
・喫茶ブームはくりかえす
・ブームとは「定型があって、みんながそれのまねをする」もの
・1970年代の喫茶ブームでできた喫茶店で、今も残っているものはことごとく「素敵」と見なされるのであるが、当時はまったくありふれたものであったはず
・平凡だったはずのお店が50年の時を経て、今はどうあがいてもつくることができない「味」を持っている
・50年後には、今ありふれているカフェたちも(生き残っていれば)「素敵」に思われているはずだ
・軽い気持ちでロータスを出してほしくない(???)
・いま凡庸に見えるものも、生き抜けば歴史的な遺物となる。ゆえに今は「ダサい」と(ジャッキーさんが)思っているものでも、続けば味が出てくるのは間違いない
・「また見えるところに焙煎機置いとるわ」
・カフェブームは波のようにくり返す
・いつかまた「人」が流行る 「まだロボで消耗してるの?」「えっ、人が入れた珈琲なんて飲めるの?」「それがまたいいんだよ」
・いまカフェを始めた人は、50年がんばればレトロの仲間入り!
・事業承継するとだいたい悪くなる(元の魅力は減じてしまう)……だがそれは仕方ない、魅力的なお店にするためにはまた50年かかるのだ!
・いや、事業承継は「三年次編入」みたいなもので、25年くらいでなんとかなるかも
・引き継ぐからには儲からなければならない、どこを変えてどこを残すかは非常に難しい
・流行らないと維持できないし、流行りすぎると「こんなお店がやりたいわけじゃない!」となるジレンマ
○喫茶店に関して最も大切なこと
・第22条「世の中の成功にはあまり興味がない」
・ある喫茶店の求人「ガツガツしてない人」
・あの穏やかな、ゆったりとした空間をつくりたいのなら、「儲けたい」「有名になりたい」は望んではならない
・テレビや雑誌が来たらむしろ失敗!? 出るのなら見せ方が肝心
・夜学バーはちょっとやり過ぎなのかもしれない
・何度インタビューを受けても没になり続けてきたジャッキーさん(かわいそう)
・氷砂糖リスナーは夜学バーに来てくださいね!
・夜学バーのナポリタンは非常に素晴らしいものだが、それをメインにしてしまうと……
○次回予告
・次回は何も考えず「手ぶら」で話してみましょう!(何が出るかな?)
Duration:00:41:38
#061 喫茶の発想① 喫茶店の本質は「茶の湯」に遡る!/愛知・岐阜・大阪に喫茶店が多い理由/喫茶店とカフェの違い
1/28/2024
※冒頭で「60回」と言っていますが、「61回」です。(番組内でも訂正しております。)
※喫茶店に関する統計に言い間違い(?)があります、詳しくは↓の目次で
まんをじして「喫茶店」について語るシリーズ。第1回はタイトル(長い)の通り、喫茶店とはそもそも何か?という本質に迫ります。次回は「お客としての心得」について。
【目次】
○今回は喫茶店の話
・再生回数がもうすぐ10000回!
・今日のお茶は「大雪(たいせつ)コーヒー」
・「ゲッターロボは日本のロボなんですか」
○なぜかまずは小沢健二さんの話
・キタキツネとフクロウといえば、小沢健二
・喫茶店と小沢健二のつながり(前回#60の「街と珈琲」回を参照!)
・今回は「60回」と言ってしまいましたが、実は「61回」です
・「小沢健二に影響を受けた人たちのやっていること」への興味
・ぷにょさんが90年代に動く小沢健二さんを見たのは1997年の「Buddy」出演のみ
・ファンたちは「音楽関係、メディア関係、クリエイター、そして喫茶・カフェをやってがち」(雑貨屋さんとかも多いと思います)
・根っこのところで共通するかもしれない「喫茶店」と「小沢健二」
・「氷砂糖のおみやげ」初期のころに話していた『大人になれば』という曲について。「喫茶を差し挟む人生」。こそあどの森の物語もそう。やたらと喫茶シーンがある
・喫茶という概念に満ち満ちている
・喫茶店とか、喫茶というものについて考えてみよう
○なかなか喫茶の話にいかないが
・なぜジャッキーさんがこんなに回りくどい話をしているかというと、喫茶店についてどこから話せばいいのかわからないから
・ジャッキーさんの母方の祖母は一族からも「ママさん」と呼ばれる、喫茶店の店主だった
・そして喫茶王国、名古屋の出身である
○愛知、岐阜、大阪、和歌山、兵庫に喫茶店が多い理由
・人口あたりの喫茶店数が最も多いのは高知県
・高知の人たちは「しゃべりたい」「休みたい」
・そのあとが岐阜、愛知、和歌山、大阪、兵庫。すべて「信長か秀吉が城を置いた土地
・政令指定都市の中では堺市、千利休の出身地……と言っておりますが、手に入るデータによると正確には「県庁所在市及び政令指定都市のなかで、個人経営の喫茶店の割合が多いのは、一位が和歌山市、二位が堺市」(平成26年)でした。失礼いたしました。ただ「政令指定都市のなかで人口あたりの喫茶店数」ランキングにおいて堺市が一位の可能性はかなり高いと思います。「喫茶店」の定義にもよるかもしれませんが……。
・秀吉と信長は千利休を擁して「茶の湯」を愛した人々、それが現在にまで繋がっている!というのがジャッキーさんの説
○「喫茶店=茶の湯」論
・茶の湯は「茶道」と「喫茶店」に分かれていった(説)
・権力者のやっていることは時代を経て庶民に広まっていく(武将や皇室はインフルエンサーだった)
・いまだに皇室カレンダーを貼っている喫茶店は多い
・陛下が学者であることが、日本人の勤勉さに影響した?(根拠なし)
・「庚申待(守庚申)」も宮中の文化だったのがだんだん庶民に広まっていった(熱はどうしても散らばっていってしまう……小沢健二『犬は吠えるがキャラバンは進む』ライナーノーツより)
・「特別な空間でお茶を入れる」(茶の湯)から「特別な空間でコーヒーを入れる」(喫茶店)へ
・機械でコーヒーを入れると「茶の湯感」が薄れ、「カフェっぽさ」が増す
・ジャッキーさんが好きなのは「茶の湯寄り」の喫茶店
○カフェと喫茶店の違いとは?
・カフェは外から中が見えることが多い、中から外が見えることも多い
・傍証:シャンゼリゼ通りのカフェも外から中が見える(それゆえナンパの名所となっている)らしい
・カフェには西欧精神があり、喫茶店には和の精神がある
・カフェの店員はかわいい格好をする
・喫茶店は応接・歓迎の精神、カフェではセルフサービスがあり得る
・カフェは空間の重心が高く、喫茶店は空間の重心が低い
・客に何かをやらせてる時点で「もてなし」精神から外れる(ただし喫茶店でも、よく来ている人が気を利かせておしぼりや水などを持っていったり、片付けをしたりすることはある)
・カフェは回転率を高めようとする考え方が強い
・ルノアールはフルサービスで重心低め、もてなし度も高いので、じつは茶の湯度が高い(お茶も出てくるし)。しかし椅子は軽めで、いわゆる今でいう「純喫茶」よりはちょっとカフェ寄り。
○喫茶店の本質とは「もてなし」である
・特別な空間でもてなし、もてなされる、その時に発生するわずかな「交流」に肝がある
・次回も喫茶店の話!お楽しみに。
次回は翌日(火曜日)更新予定です
Duration:00:37:17
#060 喫茶の発想(0) お店の中に商店街が!? 名古屋のコーヒー屋さん「街と珈琲」について本気で語る
1/22/2024
次回からの「喫茶シリーズ」に向けて、今回は名古屋にある「氷砂糖」ゆかりの聖地(!?)、「街と珈琲」というお店について語ってみます。
こちらはあまりご自身のことを「喫茶店」とか「カフェ」と積極的には表現していないと思うのですが、氷砂糖では便宜上「喫茶店」として扱っております。タイトルでは「コーヒー屋さん」としました。
ちなみに、↓の目次は放送で話していることをメモしているのですが、たまに補足や余談が差し挟まれております。環境によっては読みづらいかもしれませんが……。
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【目次】
○オープニング
・今日のお茶は「街と珈琲」(名古屋市南区呼続)でぷにょさんが頂き女子したコーヒー
・このお店がなければ「氷砂糖のおみやげ」はありません
・サウナ理論(詳しくは#48~50、あるいは#45~47とか#53~56
○いかにしてジャッキーさんは「街と珈琲」に巡りあったか
・名古屋に帰省したとき、ひたすら「店」を探していた
・地方ごとの「小沢健二さんを好きな人のお店」を探すクセがある
・ぷにょさんも興味を持つ「小沢健二さんに影響を受けた人々」の魅力
・ジャッキーさんは小沢健二さんがいなかったらバー経営もしていない、なぜなのか、その想い出について語る
・20歳の頃に迷い込んだゴールデン街に、「渋谷系好きの集まる(カタコンベ的な)お店」があった
・「オザケンクレイジー」な人々の面白さ
・もちろん全員が気の合う人ではないので、気をつけながら(?)調べる
・奇跡的に発見された「隠れ家ギャラリーえん」(街珈の前身)
・少しずつ親交を深め、夜学バーを開く際には「コーヒー豆の卸売り」と「コーヒー講座」をお願いする(2017年)
・「えん」が目と鼻の先に移転したのが「街と珈琲」
・古民家から古民家へ しかしまったく違う空間に
○ある日の「街と珈琲」における奇蹟
・ジャッキーさんがカウンターでコーヒーを飲んでいたら、東京に住んでいる(後の)ぷにょさんが偶然!訪れた……(すごすぎませんか?)
・ぷにょさんは、ジャッキーさんは沖縄にいる、と思っていた
・(ちなみにその日、街と珈琲ではたまたま「沖縄特集」が組まれていて、オリオンビールなどが提供されていた、それもすごい)
・あんなへんぴな(失礼)場所で出あえれる(名古屋弁、参考文献:BLANKEY JET CITY『黒い宇宙』)なんて
○「街と珈琲」の魅力とは?
・ぷにょ「相当素敵な店だと思います」
・なんと!ぷにょさんが「わたしの好きなあの店に似ている」と言った、
・大坊珈琲店とのつながりも?
・「明るい台所」のようなお店 ていねいな暮らし、いわゆる『暮しの手帖』っぽい感じも
・会話をしなくても「伝わる」ものがとてもたくさんある空間
・ジャッキーさんは「古い店」によく行くが、やはり「新しいお店」「若い人のお店」を好きになりたいと思っている 何十年も続いていくのに伴走したい 街と珈琲はその筆頭であり、象徴
・店主の「やり手感のなさ」「やわらかさ」「こだわってますから感のなさ」
○街と珈琲の建築のすごさについて
・カウンター、ドリンクのキッチン、お食事のキッチン、座敷、テーブル席、階段下のちいさなスペース、2階の廊下と部屋……それらが絶妙に「つながっている」ことの妙
・(言い忘れたけど、ジャッキーさんは「すべてが同時にある」ことが大好きなのだ)
・テーブル席も、ぐにゃぐにゃしていて、一つの組で専有することもできるし、複数の組で共有しても相席っぽく感じないようになっている
・テーブルゾーンとドリンクキッチンをつなぐ「おうちの形をした窓(ガラスはなし)」
・吹き抜けの開放感
・じつはおしょくじキッチンからも2階に登ることができる、迷路のようなふしぎな空間
・イチからつくったのではなく、もとからあったものの良さを活かしながらやったのが本当に感服いたします
○一つのお店が「街」をつくってしまった
・機能としては公民館のような
・「お店の中に商店街がある」というのが重要なコンセプト
・あるお店ができたことにより、街全体が少しずつ盛り上がっていく、という現象はたまにある(新潟のウチノ食堂はそういう存在だと思う)
・一方「街と珈琲」は、街を盛り上げるのはもちろんのこと、「お店の中に街をつくった」というのがあまりにもすごい
○遠心的にできあがった「街と珈琲」
・「街と珈琲」は「隠れ家ギャラリーえん」から数えて、もう21年やっている(放送では十数年と言ってしまいましたが……)
・「えん」からの助走と試行錯誤によって、だんだんやりたいことがまとまり、ついに形になったのが「街と珈琲」だと思う
・海賊憲章のように、だんだんとできあがっていった
・この街には何が必要で、どのようにすれば実現できるのかを、やりながら考えていった 頭で考えた(理念先行)のではない
・ジャッキーさんの高校の同級生が街と珈琲から徒歩数分のところに住んでいて、一家と一緒に遊んだら、子供たちとすぐに仲良くなれた 「子供たちとすぐに仲良くなれる空間」ということが本当にすごい
・「屋内の公園」という言葉は、札幌の「漂流教室」代表山田さんが、「漂着教室」についておっしゃっていた(数ヶ月前にジャッキーさんが訪れたさい)
・なんでもおいしいし、健康的だし、「みんなが好きなこと」を全部やりつつ、しかも(変な言い方だけど)「思想的に正しい」、やりたいことをやったうえで、健全
・そのうえでちゃんと「コーヒークレイジー」なところもすてき
・さらにいえば、まあまあの率でBGMが小沢健二
・「小沢健二」という思想?のようなもので共鳴するところがやはりある
・小沢さんが悪く思うようなことはできない(お天道様が見てる)
・昼小沢と夜小沢?(参考文献:小沢健二「夜日本の伝説」)
・中学生も通う「街と珈琲」
○並行する世界のジャッキーさんがしたいこと
・本当はああいうお店もやりたい
・夜のお店としては夜学バーがいまんとこ理想のお店にできているが、昼の路面店もやりたい
・昼のお店には「ちょっと不良」くらいの人がきてほしい
・夜学バーは「夜」なので、「ふるい」の目が粗くてもいい
・(「言葉の達人は言葉を使わない」が理想です)
・会話がなくても、お店や自分のありかただけで伝えられる存在にもなりたいわけです
・夜学バーは「いつ行っても違う」「刺激や緊張感がある」が、昼のお店をやるなら「いつでも同じ安心感」「気楽さ」を
・もっといえば塾みたいなふうにもしたい
・街と珈琲は「学校」という感じはあまりなく、街とか公園とかお寺
・時間割を組むのではなく、「休み時間」や「放課後」がいい
・(全然関係ないですが、名古屋で活動していた「ばんざいわーるど」という地下アイドルの『337ビョーシ!』という曲に「どうかこのままでずっと!」という歌詞があって、それがジャッキーさんには「放課後のままでずっと!」と聞こえ、「めっちゃいいじゃん!」と思ったものです。どのみちいい曲だと思うのですが、こういう地方の地下アイドルのオリジナル曲って多くの人には知られぬまま、ごくごく少ないファンの胸にだけ残り続けるんですよね、なんかエモいですよね)
・すべては物件次第!いいのあったら教えてくださいまし
・谷根千あたりにいい物件があればな……
・「昼の仙人」にもいつかなりたい
・なぜか急に小沢健二さんのコンサートで服部家のみなさまに会った話をはじめるジャッキーさん
○勝手にこんな回をやってしまいましたが……
・怒られたらどうしよう(そんなわけはないと思いますが)
・令和9年くらいには何か動きたいJ(夜ッキーから昼ッキーへ)
・次回は「喫茶店とは何か」という話を
・ジャッキーさんは「なんでバーをやってるんだ?」くらいの喫茶狂い
・高知の「喫茶ポイント」(ここは、氷砂糖に使われているBGMをつくった宇田さんの「BEANS」というイベントにJがゲスト出演したときにも紹介しており、それまで何を話せばいいかわからなくて緊張していたJが、「喫茶ポイント!」という一言をきっかけにダーッとノリにノっていくさまが非常に面白いです、YouTubeにございます)
Duration:00:50:52
#059 『海賊の経済学』(リーソン/山形浩生訳)をご紹介!~特殊詐欺との共通点と相違点~
1/15/2024
今回は読書回!「海賊」に関する本をご紹介します。
ホームページ/Txitter 【目次】
○オープニング
・今日はぷにょさんが最近読んだ『海賊の経済学』という本をご紹介いたします
・経済という視点で海賊を読み解く本
・海賊フラフラも、経済上の都合で海賊にならざるをえなかった
・前回『森のなかの海賊船』や『ONE PIECE』の話をしたので、その流れでもあります
○海賊と経済と欲望
・「欲望はそんなに悪いことなのだろうか?」という感想を持ったぷにょさん
・アダム・スミスもそのようなことを言っていた
・傘職人の例 儲けるために傘をつくると、まわりの人も喜ぶ Win-Winの世界
・『海賊の経済学』はけっこう身も蓋もない本
○特殊詐欺と海賊
・当時の商船は最悪な環境で、海賊になったほうがマシ
・悪党になりたいのではなく、お金がほしいだけ 特殊な趣味もない 仲間でやることによって成功率を高める
・それって特殊詐欺の話?
・集団をまとめるのに権威は必要だが、それを監視するものがないと権威が暴走する(権威のパラドックス) 海賊はそのバランスをうまくとっていた
・意外と秩序を持った海賊たち 抵抗しなければ殺さない、を徹底したのにも理由がある
・効率よく奪うシステムも確立させていた(経済的!)
○海賊の合理性
・襲う船の船員に「船長についてのアンケート」をとり、「あいつは悪いやつだ」という人が多ければ拷問して殺す そこにも合理的な理由が……
・海賊の掟は「全員一致」で決まる そうでなければ「やる気のない者」が現れて、全体のリスクとなる
・コストとの兼ね合いにより、多数決を採用する場合もある(幹部?を決める投票など)
・海賊憲法、読み上げ(一部) じつに細かく、よくできている 経験則から「もめやすいこと」を事前に防いでいる印象
・女性や子供を海に連れ出してはいけない 男たちは性欲をどうしていたのか?
・男色もあったようだが、そう多くはなかったようだ
・強姦は禁止 妻子持ちはなれない(船の上よりも楽しいものがあってはだめ)
・大義や理想は持っていない ただ欲望の実現のために(ストイックに)やっている
・部活の試合勝ちたいからお菓子を我慢する(詳しくは「くた回」こと番外編へ)
○「こそあど」につながる独立精神と一時的な共闘
・バンドに近い感じ それぞれに役割がある 指揮者はいるが、おろされることもある
・松本零士『宇宙海賊キャプテンハーロック』も、思想やルールはない(「男たるもの」はあるけど) みんなそれぞれ自由にしているが、戦いの時(共通の目的があるとき)はそれぞれの持ち場で活躍する、というのがアルカディア号(とジャッキーさんは理解している)
・こそあどの森は海賊集団? みんな「はぐれ者」の集まった森 スキッパーも親のいない、ネグレクトのような環境 共同体に属していない、法の庇護もなさそうな土地
・酒飲んで歌を歌い、金や女で揉めないように工夫する
・リクルートする船員も、無理やり連れてくるのではなく希望する者のみ連れていくが、捕まった時には「こいつは無理やり連れてきた」と芝居を打って罪状を軽くしてあげる(すごい!) 新聞広告に載せて証拠にしたりさえする
○ふたたび、特殊詐欺と海賊
・商船に乗っている人は、「ヤッター!海賊がきてくれた!ハッピー!」と思って、喜んで海賊になる人もいたらしい
・ブラック企業の社員は、特殊詐欺や闇バイトの甘い誘惑に乗ってしまうかも……?
・海賊と特殊詐欺の違いは、たぶん「金主」や「幹部」が裏にいて、利益を吸い上げられること そこに「平等」というのはない(ただ、少なくともかつての特殊詐欺集団の場合、下っ端の中では対等さがあったと思う)
・売れてる特殊詐欺には搾取構造がある(と思う)
・ドストエフスキー『罪と罰』、川上未映子『黄色い家』
・『ハーロック』の主題歌「君が気に入ったならこの船に乗れ」まさに海賊の考え方!
・『海賊の経済学』は『ONE PIECE』も参照している
・「(翻訳が)山形浩生じゃん!」
・山形さんのホームページ、検索窓ありました サポートページ https://cruel.org/books/pirates/
○海賊は「遠心的」
・ジャッキーさんは「組織の維持のしかた」に興味を示した
・ぷにょさんは「自然発生的な成り立ち」に注目
・システムが先にある(求心的?)のではなく、たまたまの成り行きでつくられてゆく(遠心的!)
・夜学バーというお店も、海賊船のようなものかもしれない
・従業員は常に募集しております、お金は稼げません! 工夫の余地や自由はありますが、成果報酬でございます
○次回は「コーヒーの話」
Duration:00:41:38
#058 『森のなかの海賊船』(岡田淳、こそあどの森の物語3)④ 言葉が機能するための条件/こそあどの森に満ちる独立精神
1/8/2024
『森のなかの海賊船』回の締めくくりです。相変わらず話題はいろんなところに飛んでいきます。予習(?)は下記「もくじ」から。
【目次】
○オープニング
・前回を経て「言葉があたたまってきた」
・ジャッキーさんがゆらゆら帝国でいちばん好きなのは『時間』(楳図かずお先生の『ロウソク』が元ネタ)
○「とあること」を起こすためには
・とある現象を起こすためにとある場所に行ってとあることをしなきゃいけない
・ぷにょさんがぽろっとこぼしたおそろしいネタバレ
・「アレくれよ」が成立する(通じる)ための要件、現象を引き出すための助走、下準備
・下準備が済んだあとにもう一度試みると……
・(とある場所で)全員が憑依型俳優になってしまう
・ムードって大事なんだな
・文脈があって初めて、言葉が意味や機能を持つ
・仲のいい関係のあいだには、暗黙の文脈が増えてゆく
○閉じた世界の「ノリ」
・家族の中だけの言葉
・「トキントキン」と「もくもく」
・方言も似たようなもの(前回の伏線回収?)
・人数を揃えれば良いのではなく、各人がそれぞれの役割を果たして初めて、特別な意味(機能)を持つ
・「常連ノリ」や「深夜ラジオノリ」にもなりかねないが
・ロケットマンショーのハガキ職人「じゃきじゃきじゃっきー」さんの謎
・なぜ深夜ラジオにはそういう「ノリ」が生まれやすいのか(一種の催眠術的な状態)
・「バルスみたいなことですよね」
・「バルスだねこれ」「バルスだよ」
・『天空の城ラピュタ』の話
・ただ「バルス」と言えばいいのではなく、おそらく何らかの条件、文脈が揃っていないと機能しない(と思う)
・「南の島が爆発するよ!」というしつけ
○言葉の力の魔法
・「言葉が機能するための条件」を考えさせられるラストシーン
・本というものは、下地をつくりながら「名言」が差し挟まれるもの
・「船は、あるんだ」とか「だが断る」も文脈の中にあってこそ
・なぜかジョジョの話(いま話題のスピードワゴンが出てくる漫画)
○ラストシーンについて
・ジャッキーさんはラストの一文が好き
・「とある場所」は消えてしまうが、それぞれの手元に「とあるもの」が残る
・冒険のおみやげ ドラえもん映画によくある 例:『のび太の宇宙開拓史』の雪の花
・「夢だけど夢じゃなかった」パターン あの世界、あの経験の証拠品
・「こそあど」らしいと思うのは、それを「一人ずつ」持っているということ たった一つの象徴的なものが残るのではなく、なんてことない日用品がそれぞれの手元に一つずつ残るということ
・「10個集まって初めて機能する」ものでもない
・こそあどの森に満ちる「独立精神」のようなものがよく表れている
・「ツアーグッズみたいですね」
・その時間を思い出したいために、グッズを買う
・魔法の証拠
・めちゃくちゃワクワクする
○集団ではなく、あくまでも個人の集まりであるということ
・ダチュラフェスティバル「後」の忘れられないエピソード
・余談 主催の一人は宮古島→インド→バイト生活で大学受験は検討中
・「くたさん」って言っちゃってるジャッキーさん
・このあたり、ジャッキーさんの言っていることはあまりまとまっておりませんが……「ダチュラ」という既存の枠組みを根拠に仲良くするのはダチュラらしくない、ということだったのかなといま振り返ると思います
・「番外編」でしていた話とも一貫している
・くたさんへの「陰褒め」タイム
・「氷砂糖」というアウトプット
○次回予告
・ぷにょさんが最近読んだ、海賊についての本の話を
・「こそあど」最初の三部作を読みましたが、今度は次の三部作を読んでいきます!
・「来年」と言っていますが「今年」ですね!(収録が年末)
・「世の中がよくなる」ユニゾン
Duration:00:39:17
#057 『森のなかの海賊船』(岡田淳、こそあどの森の物語3)③ お茶を飲み、思い出し、「時間を愛する」
1/1/2024
岡田淳『森のなかの海賊船』(こそあどの森の物語3)にまつわる話の3回目、しかしふたりでの収録が久々ということもあって最初の10分くらいはたのしい雑談になっております。
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【目次】
○オープニング
・あけましておめでとうございます
・年始の番組を年末に録る(芸能人気取り)
・夜学バー復活から1ヶ月
・久々のぷにょさん 「番外編」の感想
・くたは「両親の違う妹」「叶姉妹みたいな感じ」
・ジャッキーさんがここで言いそびれたこと→兄の友達から、しゃべり方(と声)が似てると言われがち
・「おみやげ」の発音について
・ふたりの方言について
・斉藤洋『なんじゃひなた丸』シリーズに出てくる、あらゆる方言が混ざっている人
・現実的には、すべての地域の人から嫌われそう
・土佐弁の話
・今日のお茶「ともしび」
○ようやく『森のなかの海賊船』へ
・前回ジャッキーさんは「ラストシーンについて語りたい」と言ったが、何を語ろうとしたのか
・今回はプチネタバレ回です
・だれかと飲みものを飲む、ということについて
・「五感の共有」という側面 他人の五感を感じられる
・言葉を受け取る感覚も食べものや飲みもので変わる?
・同じポットでそそいだお茶をみんなで飲む、ということの重大さ
・みんながお茶を飲むシーン
・「100年以上前」に想いを寄せるスキッパー(P171)
・「時間を愛している」という言葉の意味
・時間制限のある喫茶店にある緊張感、不自由さ
・ゆくゆくやる予定の「喫茶店回」に向けて
・古い喫茶店は、時間というものをあらゆる方面から感じさせてくれる
・作中では、スキッパーのこまかい気持ちは書かれていない
・ジャッキーさんの二つの経験 1300年前に栄えた平城宮跡に行ったことと、2500年前のうつわでワインを飲んだこと クラッと変性意識状態になった
・岡本太郎の展示についての考え方
・「ホーロー」は五感にうったえかける
・ホーローというものを知らなくても
・言葉少なで、読者に委ねるような書き方
・夜学バーにもいろんな古いものを置いている
・古いものはすべてを記憶しているかもしれない
○次回予告
・エンジンがかかってきた!
・話したかったことを思い出してきたジャッキーさん
・「こそあどの森」には「思い出す」というモチーフが多い
・『ふしぎな木の実の料理法』のラストシーンも
・「思い出す」とは、「時間を飛び越える」ということ
・思い出すということが、時間を愛するという行為そのもの
・アルバムをめくるようなことを、人間は心の中でもできるんですよ
・本とかって全部そうかもしれない
Duration:00:33:36
#056 【番外編】推しについて④ 大長編! 宝塚、ジャニーズ、バスケ部、アーレフの「ウチとソト」からこれからの世界を考える
12/25/2023
大長編!でも面白い!
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【目次】
○宝塚、ジャニーズ、バスケ部
・※バスケ部とは、「厳しい、長時間練習、顧問が絶対」な、「強い部活」の象徴的表現。学校生活のなかでも部活の人間関係で生活している
・ジャッキーさんの教えていた学校でも
・コート外でも使われる「コートネーム」の謎 くた「こわい」
・強い部活は、生活のすべて(中心)が部活になりがち 推し活やホス狂いに似ている?
・お菓子が「事実上」禁止
・生活すべてを部活に全振り、ただし勉強も日常生活も「部活」に含まれる 『推し、燃ゆ』において推し活にバイトが含まれていたのと同じ
・精神状態や気持ちも伝染し、共有される
○宝塚、ジャニーズ、バスケ部、アーレフ
・アーレフに潜入した人の話
・くたの不謹慎さがにじみ出てきた
・教団内で誰か亡くなると、それまで仲良かったとしても急に冷たくなる
・「教義に反することをした」「理由はどうあれそのから抜けた」ということが悪い?(このへんはよくわかりません)
・いずれにせよ死は逸脱、それを認めてしまうと自分たちのやっていることとの整合性がとれなくなる、ゆえに死者を貶めることで折り合いをつける
・たぶん、「強いコミュティ」に共通すること 抜けた人に対する特殊な感情
・「森などという人間は存在しなかった」
・同じ学校にいても、どこかで「元バスケ部」として意識されてしまう
・自分たちの信じている秩序を乱した者に対する感情
・その集団の価値観を外部が糺すことは難しい、彼らの足もとを根底からぐらつかせることになる
・「お菓子食べればいいじゃん」と言われると、すべての価値観が崩れてしまう
・ここが宝塚、ジャニーズ、バスケ部、アーレフという並びになる理由
・周囲が簡単に否定していいのか?という問題
・内部の人からしたら「それが自分たちの人生そのものなんだけど……」
・内部の人が告発しない理由
・性被害のことだけを考えてもうまくいかない、これからを含めた全人生の話なので
・バスケ部は3年間では終わらない
・糺すには相当な注意が必要
・ジャニーズや宝塚、カルト宗教のような世界は身近に実はたくさんある
・「世の中で太田光さんだけが正しいことを言っている」
・サンジャポ見すぎ問題(コア層じゃないから)
・身近にあるバスケ部 おかしな職場はいくらでもある
○集団から一部を切り離せるのか
・問題のある組織を潰せばいいという話しではない
・自分が当事者になったらどうするか、を考えておかなければならない
・日大アメフト部を廃部にしたら何が解決するのか?
・「大麻をやらなかった人たちがかわいそう」もあるが、「大麻をやった人たちもかわいそう」なのである
・大学の強い部活は「四年間の生活の中心」そのもので、それで就職が決まったりさえする それがすべて潰えてしまう
・大麻をやったと言っても
・体育会系の部活における集団心理 ジャッキーさんがかつて取材した、ある大学教授の話
・集団の一種のトランス状態のなかで罪を犯してしまった場合
・大麻も含めて「アメフト部」だった可能性 すべて部活の一部だった?
・アメフト部から「大麻」のみを切り取れるのか ジャニーズや宝塚も同様
・大麻をやってたわけではなく「部活をやってた」という意識だった可能性が高い
・「なんかわかんないけどそういうもんだからやっちゃってた」とか、伝統だからやってた、という人たち
・集団の大きな力と、個人の遵法意識
・線引きの難しさ
・ほかの決まりは暗黙に許されているのに、別の特定の決まりだけが禁止されたりする現状
○「ウチ」と「ソト」が核にある
・ウチという世界観に閉じていたものを、外部が覗き込んで「ソト」に取り出してしまうこと
・もちろん洗脳プログラムは「やっちゃいけないこと」(被洗脳経験者、ジャッキーさん談)
・だけど、すでに洗脳状態にある人はどう守られるべきなのだろう?
・中にいる人からしたら、やめた人のことがわからなくなる こないだまで自分と同じ価値観を持っていたのに……とバグってしまい、ともすれば「恐ろしい存在」に見えてしまう
・介入するのなら覚悟や力が必要
・森且行さんが徹底的に消された理由 進路が芸能ですらなかったからかもしれない 「別の神様を見つけました」
・SMAP以降は解散が常態化 ジャニーズも辞めていいことになった
○バンドとグループアイドル
・バンドは解散したりできるから通気性がよい
・個人で出てきたら個人はやめられない、しかしバンドはやめられる
・グループにする利点は「変えられる」ことなのに
・なぜジャニーズグループ(デビュー後)のメンバーは「減る一方」なのか?
・「仲の良さ」を重視するからか?
・プロレス、特撮、ももいろクローバーZ
・XにSUGIZOが入る凄さ
・バンド的考えの人とグループアイドル的考えの人との衝突
・バンドとアイドルの違い バンドは自主的にやっているから自らの意志で流動的に変化がつけられる
・アイドルは他人がつくるもの
・役割(パート)とユニゾン
・バンドはフィジカル的な交わり、仲良しキャッキャ供給が少ない
・自主的に集まって仲良くしているはずなのに仲良し消費されていないのは……「仕事っぽくなる」からか?という仮説
○役割とキャラクター
・バンドが仕事っぽくなるのは、楽器という役割があるから?(そう思うとTOKIOが会社をつくったのは面白い)
・ジャニーズ事務所というバンド内で、嵐という役割、V6という役割……
・宝塚における星組や宙組?
・役割とキャラクターの違い
・楽器どうしの関係は少なくとも演奏中、あるていど定まっている 人間と人間との関係は見えづらくなっていく
・みんながマイクを持って踊る場合は、みんながフラットな関係だから、そこに浮かび上がる関係は見えやすくなる
・くたさんは「なんで一斉に歌うの?」と思っていた
・某父親「それ90年代に石野卓球が同じこと言ってたよ」
○再び、「ウチ」と「ソト」
・深夜ラジオ的なノリ(ホモソノリ)と、それを愛でる雰囲気が嫌いだという感覚
・伊集院光のラジオを最後まで聴けたことはない!
・だけどナイナイと爆笑問題はずっと聴いているジャッキーさん 彼らはドライだからか?と分析はするものの、同じ穴の狢である自覚も多少あります
・美術部の人たちのノリ
・「ソト」の存在を前提として、「ウチではこういうことを楽しんでるけどね」という閉じたノリ
・これはこのシリーズ1回目で言っていた「ブスの存在を前提としてかわいくありたい」と同じ
・比較の中で自分が優位にありたい、という、ジャッキーさんが長らく警鐘を鳴らしてきた「数直線的思考」
・「おれたちだけが知っている閉じた世界」ということそのものが価値になっている、比較したうえでの相対的な価値
・「それを知らないほかの人たち」を前提とした楽しみ
・コンテンツが面白いかどうかよりも、「それを楽しんでいるおれたちの結束」に重点が置かれる
・仲いいかどうかで芸人の価値が決まる、ということと似ている 「笑い」は関係なくなってしまう
・くたさんの主張「現象でしかない」
・今回のテーマは「ウチ」と「ソト」だったのかもしれない
・そして宝塚やジャニーズに戻ってくる
・無責任にアイドルを好きでいることができず、「向き合う」という気持ちがどこかに発生する
○これからの世界について 受け皿の消滅
・閉じた世界の中では純度の高い、完成度の高い「系」が作れるが、それは外部の常識とはズレてしまう それをなくしていこうというのが現在の世の中であろうが、その中にいた人たちのその後はどうなるのだ?
・暴走族やヤクザのような「受け皿」も弱まっている
・部活も、体力の有り余った若者たちの「受け皿」という側面がある
・アメフト部に入ったから犯罪しなくてすんでいる人たちだっているかもしれない(大麻くらいで済んだと言っていいものか)
・アメフト部にめっちゃ適応できる人は、もっとヤバい何かにもめっちゃ適応できるかもしれない
・高校無償化が失わせる「受け皿」 商業高校や工業高校などが定員割れし、みんなが普通科(私立)に進む 勉強の嫌いな人が手に職をつける機会がなくなってしまう
・ジャニーズだってヤンキー(や貧乏人)がいっぱい来てたのだ
・受け皿のはらむ問題はもちろんあるが、それを壊してもいいのか? 一部分だけを切り取ることができるのか?
○最後に
・くたさんの目論見「推しにまつわる問題は、他人事ではない」ということ
・自分と自分じゃない人、ウチとソト、という問題がいろんなところに出てくる そこは誰もが意識していいところだと思います
・衝突を避けるにはそこのあたりをちゃんと考えておいたほうがいいのです
・自分がどこの立ち位置にいるのか 自分はどこの内側にいるのか、どこの外側にいるのか...
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#055 【番外編】推しについて③ ポケモン的代理戦争の時代、「仲良しを眺める」という部外者感覚
12/18/2023
○オープニング
・これは推しの話なのか? つづけます
○代理戦争の時代
・ポケモンの登場(1996年)
・前段階にはドラゴンクエスト5が
・応援、推す、ということ、たとえばホスト
・ホストクラブのここ数年の変化
・城咲仁さんの証言「かつては接客のできるホストが売れていた」
・いまは「この人を輝かせたい」という発想が強くなっている
・くたは代理戦争をしたくない、「わたしが輝けないのはヤなので」
○仲良し傍観時代
・アイドル同士が仲良くしてるのに興味ない、ということにも繋がる
・嵐にいるニノよりも単体のニノが好き
・「ジャにの」のバランスは比較的よい
・「男性アイドルグループ=嵐=仲良くわちゃわちゃする男たち」という時代
・SMAPの話(デリケート)
・SMAP時代と嵐時代
・ダウンタウンの仲良しアピールについて
・「自分が関係ないこと」を楽しめない
・嵐の仲の良さは作品レベル
・SMAPのスマスマ会見の歴史さ
・※下着泥棒ではなく制服泥棒でした、すみません
・仲良しを「見る」ことに何の意味があるのか?
・「わちゃわちゃ」という言葉はいつから出てきた?
・「その世界の中に自分がいない」という魅力を感じていた腐女子たち
・部外者感の時代(ホスト、嵐、BL……)
・「自分との関係」は度外視されている
・前回出てきた「向き合う」ということの大切さ
○「自分の道」というもの
・尾崎世界観さんが言っていた宅配のたとえ、「取りに行く」という距離感
・お膳立てや据え膳ではなくて
・道に荷物を置いてほしい
・「自分の道」というものがあるかないか
・外に出ないから、窓から違う星の「仲良し」を眺めているのかもしれない
・「自分の道」があると「関係をつくる」ができる
・ここで出てきた中村一義さんの歌は『街の灯』と『虹の戦士』
・外に出ると「この道も誰かが通ったんだ」「この道でよかったんだ」とわかる
・「誰かの待つ歩道を歩いてく」は小沢健二さんの『ラブリー』
・引用ができるということは、荷物を置いた誰かが先にいたということの証明!
・お笑いも「荷物を置く」ことなのに……
・仲の良さで評価される妙さ ウエストランドとさや香の例
○「見ていたい」と「そこへ行きたい」
・『ぼっち・ざ・ろっく』や『けいおん!』も「傍観系」かも
・「日常系」の原型のような気がする「部室もの」
・「ひとつ屋根の下」もの(ジャッキーさん独自の分類)
・しばらく分類の話
・※征伐じゃなくて成敗と言いたかったのでしょうな
・だいぶ話がズレてきた、「部室もの」に戻って
・『究極超人あ~る』というものすごい作品があったのですよ!
・天野こずえ『浪漫倶楽部』への大いなる愛
・ジャッキーさんは「この世界に行きたい」「この部活に入りたい」「いつまでもこの世界の中にいたい」という憧れの心で読んでいた
・むかしのオタクのオタクしぐさの基本は「この世界に行きたい」なのではないか(庵野秀明さんのウルトラマンを例に)
・光画部や浪漫倶楽部をつくりたい、それを自分なりにやっているのが夜学バー!
・「自分もやりたい」「そこに行きたい」と思う感覚と、「自分はそこにいたくないけど、見ていたい」という感覚と
・ジャニーズになりたいふたり
・『ファンタスティポ』を踊りたい!
・『MOON CHILD』の話
・とっちらかってきた、けど、楽しくなってきちゃった
○次回予告
・楽しい話をしましょうか
つづきは12月25日(月)に配信予定です。メリー!
Duration:00:40:04
#054 【番外編】推しについて② かつて「恋愛」の持っていた雑さが転用され、「推しの悪用」が始まった……?
12/12/2023
引きつづき番外編として、ぷにょさんの妹を名乗る「くた」さんとのおはなし。「推し」をめぐって白熱しております。どこでも聞いたことのない視点だと思いますので、ぜひ~。
ホームページ/Txitter
○オープニング(引きつづき「くた」さんと)
・前回のまとめ
・推し概念の二累計「集中型」と「人権剥奪型(推しの悪用)」
○一般人への推しと、芸能人に対しての推し
・ 今後の流れは「みんながアイドルになる」のか、「推すことに慎重になる」のか……
・アイドルがどれだけ大変なのか
・推しには「行動、活動」が伴う
・「誰を好きだっていいじゃないかァ」(『鈴木先生』より)は、推しの世界にはない
○口に出すことと行動することの間には
・口に出すと変わってしまうから言いたくない
・外に出すと凶暴なもの、一方的なものに変容してしまう可能性
・感情を形容したくない
・「かわいい」という言葉は口に出すのが正義という風潮
・※「推し」を他人事だと思っている人も真剣に聞いてください(いろんな方向に矢を飛ばす)
・口に出した「かわいい」は、変換されて伝わる
・感情は一つの長い直線のように存在しているのに、一部分だけ切り取って出してしまうと崩れてしまう
・醜形恐怖と名乗って活動している方々
・「ブスっていうものが存在する中でかわいくありたい」と思う人
・校則を「破りたい」だけのヤンキーたち
・してる行動はおなじでも思惑が違う
・「ブスと言われたくない」と思う人の中にもいろいろある
・「ブスかかわいいか」という価値基準の中でものを考えている人と、「人の容姿をとやかく言うべきではない」とそもそも思っている人と
・その線引きっていうのをみなさんちゃんと意識してますか
・「生じた感情には行動が伴って当たり前」という考え方への疑問
・「好きなんだからしょうがない」は許されるか
・行動と感情は「一対一対応」なのだろうか?
・一つの問いに対して一つの答えしか存在しないと
○そもそも、心のなかのことは言葉になんてできない
・それでも、誰かと仲良くするために言葉や行動を絞り出す
・混沌とした状態は落ち着かない、だから型にはまり、定点を見つけたくなる
・モヤモヤした気持ちを「好き」とか「推し」というふうに外に出すと楽になる
・複雑な心を「推す」にまとめて、そのまま自動的に行動も決定される
・ごちゃごちゃしてていい!
・「あなたのその感情、推しですよ」という型を提供する
・巨大すぎてあたふたしやすい好意のエネルギー、かつて「恋愛」と呼ばれ、最近は「推し」にスライドしている?
○恋愛から推しへ
・恋愛に「人権意識」や「コンプラ」が導入されたので、そこで許されないことを「推し活」で実現させているのではないか
・人間関係を手抜きする場所が変わった
・恋愛が持っていた「雑さ」が推しのほうへ移ってきた
○アイドルについて
・勉強しすぎて頭が狂って、難しいことを考えたくなくなって特定のアイドルに熱をあげざるをえなくなった(?)くたさん
・行動ではなく、感情で推している(??)
・感情は一方的だが、それを行動にはしていない
・くたさんの好きなアイドルは「好きになっていい」という安心感がある
・その安定感や覚悟が好き
・好きな音楽(バンド)の場合はそうではく、むしろ安心できない、人間関係と同じように「向き合う」という態度でいる
・くたさんの好きなアイドルの場合は、「どう好きになり、どう応援していいか」が明白
・しかし世の中の一般人のほぼ全員が、そういう受け止め態勢は持っていない
・そういうアイドル相手になら感情を外に出すこともできるが、もう少し身近な相手ならそれはできない(すべきでない)だろう
・だからこそ、勉強の息抜きになる
○溜まるエネルギーの解消法
・ジャッキーさんが受験生だったころは「詩」で発散していた、ホームページの日記も続けていた でないと頭が狂っていただろう……
・しかし、発散のために「身近な他人」を利用するのは邪悪だし、悪循環を呼ぶかもしれない
・「推されることに適応した人」ならいい、という話ではない 推されざるをえなかった人たちが仕方なく適応しただけかもしれない
○次回予告
・「アイドルなんだから推していい」ではない
Duration:00:32:59